半獣奇譚-2
「西野だろ!?西野少将とデキちまえば、俺はお払い箱ってコトか!?」
「奥様を本当に里に帰せたならば、それからお話を聞くわ。」
震える唇で私はできるだけ静かにそう言って車に乗り込んだ。
「承知」とばかりに早速車屋は走り出し、しばらく走ってから行き先を尋ねた。
「どちらに向かいますかい?」
この辺りでは公園に面した事もあり、「雷や」のような商売も盛んだった。
そのせいか男女の小競り合いも珍しい光景ではなく、口論しながら客が乗り込むと車屋は即座に二人を引き離す。
私の名はミツという。
三年前にガラス工場を営む主人を亡くし、それから言い寄ってくる男はほとんど金目当てばかりだった。
主人のガラス工場は以前の陶器に立ち代り、モダンで丈夫な硬化ガラス製品としてたいへんな繁盛を起していた。
結局、どうなったのか私は知らないが軍部から手投げ弾をガラスでこさえるという話さえあったそうな。
今は工場も身内の者に引き渡されて、私に残ったのは家と少々の財産だけだった。
その疎外感からか、私は人伝に紹介された男に言い寄られると断われないでいる。
「車屋さん、このあたりでいいわ。」
自宅付近で車を降りると私はそこから歩いて帰った。
西日がちょうど顔にあたる頃になっていて、まぶしさに目が眩むのか情けなさに眩むのか分かりゃしない。
門扉を潜った時、玄関横に立ち上がった人影に驚いて「きゃっ!」という息を呑み込んだ。
「奥様、おかえりなさいませ。お久しゅうございます。」
「どなた?何の用なの?」
それは年の頃で15,6の少年の姿をしていた。
ズタ袋にただ首を通したようなボロを纏い、頭はお寺の和尚のようにツルツルに剃り上げている。
「お忘れになりましたか?クマです。クマでございますよ。」
よく見れば何がおかしいというか、眉がない。
笑っているのだろうけど、どっちかといえば顔が真ん中に寄った感じに見える。
しかし、目はたしかに見覚えがあった。クマと言われてもかつて飼っていた愛犬のクマしか思いあたらない。
「戻って参りました。このクマは奥様が仰った通り、人に生まれ変わってただいま戻りました。」
死んだ犬が転生したと言われて信じられるわけがない。
それにしても目は確かに懐かしいクマのものだった。
「いのち短し 恋せよ乙女 朱き唇褪せぬ間に・・・」
私は人前で歌など歌った事はない。
「ゴンドラの歌」を知っているならば、確かに河原を散歩して歌ったクマだけなのだ。
もう、胸が熱くて頭も混乱して、信じるしかない。
ともかく私はクマと名乗る少年を家に入れた。
こんなだから、私はすぐに男に騙されるのだろう。
クマはここでいいと言ったのだが、人目もあるしそんなわけにはいかない。
そこはクマが暮らしていた犬小屋があった場所だった。
足は裸足で膝も脛も泥だらけ。
とにかく湯を沸かし、風呂場に突っ込んで主人のお下がりでも浴衣などを見繕った。
背はかなり低かったが裾を上げればお仕着せにも着れるだろう。
戻ってみるとクマは裸のままで茫然と立ち尽くしている。
私の顔をみて、ささっと四つん這いに伏せた。
そうか、いつも洗ってやっていたのでお風呂の入り方を知らないのだ。