橙-3
「ううん。奏くんの演奏がなぜか好きなの。
練習で良いから聴きたいな」
あの音は不思議な魅力がある。
人を引き付けてやまない。
「良いけど」
「ありがとう。じゃぁ行こうか」
半場、無理やり承諾を得た見学に
今日のデートと同じぐらいワクワクした。
もう1度あの音をこの耳で聞きたい。
桜木町にほど近いお店でズボンのポケットから出した鍵で
お店の裏口を開け
ピアノの周りの照明を付けた。
営業時間のそれより数段明るい照明の中で
シャツの胸ポケットからメガネを取り出して
数枚の楽譜を並べた。
顔が・・・・
今まで私と一緒にいた顔と違う。
はにかんだり、優しそうに笑ったり
楽しそうにしていたハタチの顔から一転して
大人の男の顔になった。
両手の中指にフッと息を吹きかけたかと思ったら
ものすごい勢いでピアノの音をはじき出した。
レストランのバックミュージックとしての
存在感を感じさせない静かな音楽とは違って
一気に目が覚めるような音の羅列に面食らった。
それでも必死な演奏の奏くんになにも言う事が出来ず
必死に私もその音を追う。