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N県警察
【サスペンス 推理小説】

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N県警察〜粛正の夏・松田忠の章〜-2

「私を裏切るなよ」
 足早に本部を出た。
 あと4年で退官する。ここで逆らえばどうなる?妻は?息子2人は?N県警の幹部クラスは、希望すれば退官後に関連企業の主要ポストを斡旋してくれる。天下りだ。本音を言えばそれも捨て難かった。
 車に揺られて30分、光ヶ丘署に戻って来た時には、もう気持ちは固まっていた。
 光ヶ丘署刑事課強攻犯係、都築啓介。27歳。
 一昨年、倍率100倍以上とも言われる難関の巡査部長昇任試験に合格した。それと同時に刑事教養を終え、刑事課に配属となった。昔から「捜査第一課勤務が夢だ」と言って憚らない若手の有望株だ。
 松田は都築を署長室に呼んだ。仁科の話によると、その都築が鉄道警察から連絡を受けた唯一の光ヶ丘署員であり、つまり鉄道警察を除けば都築のみが仁科裕明の一件を知っている事になる。
 腹は決まっていた。
「都築君━━。今朝の痴漢の件だが、何も無かった。そういう事にしてくれ」
 都築は一瞬、何を言われたのかわからないようだった。だから、念を押した。
「痴漢は無かった。そういう事だ。わかるな?」
「冤罪だった…という事ですか?」
 頭を抱えた。この男は純粋すぎる。冤罪だったなら、どれだけ楽か。
 松田は都築に概要を話した。
 都築は立ったまま、時折握り拳を作ったり、その拳を震わせたりした。
 同じだった。警視と巡査部長と階級に隔たりはあっても、正義の御旗を掲げ誇りとする警察官にとって、この一件はこれ以上無い程に神経を逆撫でされる。都築も松田と同じ思いだった。
「上意下達。君も警察学校で耳にした筈だろう。頼む」
 上の者には絶対恭順。旧態依然とも言えるが、それこそが日本警察が世界最高峰の警察であり続けてきた理由の1つなのだ。
 都築も当然それを知っている。だから1つ、溜め息をついた。
「わかりました」
 そう言って、都築は署長室を後にした。
 仁科親子のにやついた顔が浮かんだ。机を思いきり叩いた。
 自分は署長の器ではないのかもしれない━━。
 警電の受話器を取り、官舎に電話をした。
「はい。光ヶ丘署署長松田です」
 妻・幸枝には警電に出る際にはいつもこの応対をしてくれと頼んである。
「幸枝か。俺だ」
「あら、こんな時間にかけてくるなんて珍しい。どうしたんですか」
「なあ、初めて会った時の事を覚えているか」
「ええ。交番のお巡りさんだった貴方、ボウリング場を巡回している時に警察手帳を落としていったのよね。それを私が見つけて」
「手帳紛失は出世に響くんだ。お前が見つけてくれていなかったら、俺は署長にはなれていなかった」
 幸枝はくすりと笑った。
「それは何度も聞きました。あの時、まさか貴方が将来署長になる人だなんて思いもしなかったけれど」
「そうか…。ありがとう」

 かつては職務に燃えていた。休日返上で疲れきった体を、使命感だけで何日も突き動かしていた。あの頃の自分が今を見たらどう思うだろう。
 弱い人を助けたい━━。
 偽善でも何でもなく、本心だった。自分にはまだ残っているだろうか。あの心は。
 受話器を置いた。歳月を感じさせるその手には、また1つ皺が刻みこまれたような気がした。


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