おおいぬのふぐり-1
店の最寄り駅に着き、早朝まだ開店している店が少ないシャッターだらけの駅の地下街を歩き、Ciel blueへと向かう。
無機質な空間に、流れるように黙々と歩く人波。田舎暮らしの私には何年経っても都会の景色は息苦しくて、どうにも馴染めない。
苦い顔の私の隣で那汰君は終始笑顔絶やさずに、無機質な空間や人波に楽しげな視線を向けては、
「凄いよね。こんな朝早くから、こんなに人が沢山」
わくわくとした声をあげている。
「…忙しないのは苦手だよ…」
ため息を吐いてしまう私に、
「ボクは好きだよ、沢山の人が今日も生きてるんだって実感できる景色って。なんだか自分の力に還元される感じがするんだよね」
佳那汰君は、眩しげに目を細めて笑顔を向けてくれた。
「佳那汰君はポジティブだね。そういうの私も習わなきゃ…」
とてもいきいきとしてる佳那汰君の瞳が眩しくて。翻ってネガティブな自分に小さく苦笑ってしまった。
「こうせいちゃんの前だから、いつもよりきっと三倍くらいのポジティブな気持ちになれてるよ。好きな人の存在は大きいからね」
「そういう事言われると照れるよ…」
「いや、照れられるとなんだかボクも照れるよ…」
しばし、お互い優しい沈黙の中を歩くと、佳那汰君は私の左手をそっと繋いで、
「がんばろうね 」
真っ直ぐに向けた視線の先にある「Ciel blue」を見つめて、小さく気合いの入った声を発した。
「うん…」
視線を逸らしたくなる気持ちを堪えて、私も顔を上げて店を見つめた。
◇ ◇
ロッカールームの前で佳那汰君とは一旦別れた。
私は仕事着に着替える為ロッカールームへ、佳那汰君は働き始めの通過礼儀を済ませる為に事務所へと向かった。
今日もキッチンという戦場に向かう為に、私は真っ白な制服に着替える。
首もとにまく私の黄色いスカーフは、キッチンで働くコックの最底辺、雑用の色だ。
「…負けないもん」
ロッカーのハンガーに掛けられたスカーフに小さく誓うけど、やっぱり心の奥にまだ萎れたままの私を感じて、やるせない気持ちになった。
両手を力一杯握って、首を振って弱い自分を閉じ込める。短く息を吐き、制服に着替えよう、ネイビーのVネックのシャツを脱いでハンガーにかけて、制服の中に着る黒いTシャツを取り出した。
刹那――
ロッカールームのドアが、なんの躊躇もなく開けられて。何が起きたか頭が把握出来ない状態で、数秒茫然と固まってしまった私に、
「お前…着替え中なら、ドアに札掛けろよな…」
「はっ!! しまった!! 札掛けるの忘れてたっ…って…、いやぁあああああ〜〜っ!!」
那由多に呆れ顔を向けられ、半身ブラのみの格好を隠そうパニックになりしゃがみこみ悲鳴をあげた私に、
「お前、ほんと、どんだけ不用心なんだよ…」
「うっ、うるさいっ! バカっ! 変態っ! 早く出てけっ!」
しっしと追い払うゼスチャーを那由多に向けると、
「バカはお前だろ。そんなちんちくりんでガキっぽくても、お前はいい歳の女なんだからな。ちゃんと用心しろよ」
そう言って、ロッカールームから出て行った。
「ちんちくりんで悪かったわね!」
こんな姿見られて恥ずかしいし腹が立つし! もうっ! 朝から最悪だよっ!!