死神-1
「ああ、もう生きているのも嫌になっちゃったな・・・」
路地裏に転がり、折れた歯をぷっと吐き出して呟いた。
ここのところ不運続きだ。
仕事上の小さなミスが巡り巡って大きな問題になり、会社はクビになった。
再就職した会社は究極のブラック企業だった、毎日夜中まで残業させるクセに残業代もロクに出さない、しかもまとまった仕事の締め切りはいつだって『月曜の朝までに』。
デートする暇もないので五年付き合って結婚も考えていた彼女にふられ、疲労と心労で体調を崩して会社を辞めた途端に両親が交通事故に会ったという知らせ、急いで田舎に帰ろうとしたが列車が事故で立ち往生していたせいで死に目にも会えなかった。
葬式を済ませて東京に戻ってくればアパートは火事で丸焼け、決まりかけていた再就職先にも別の男が決まっていた・・・仕事も住むところも失った上に少しづつだが結婚資金を貯めていた預金通帳とカードまで灰になってしまった。
どうしてこうも不運続きなのかと我が身を嘆き、やけ酒を飲んでフラフラ歩いていたらチンピラに因縁をつけられ、路地裏に引っ張り込まれて殴り倒されてしまい、チンピラは俺のポケットから財布を抜き取って行っちまった。
折しも今日はクリスマスイブ、大通りからは賑やかなクリスマスソング、街が浮かれている分余計に気が滅入る、おまけにみぞれまじりの雨まで降り出して今や一張羅になってしまったスーツに沁みて来る・・・世の中の不幸を全部背負ってしまったような気分だった。
「このまま眠っちゃおうかな・・・そうしたら明日の朝には冷たくなってるかもしれないな・・・いっそこの雨が雪に変わってくれれば奇麗に死ねるのに・・・・」
もう起き上がる気力も湧いてこない、俺は倒れたまま目を閉じた・・・。
「おい・・・おい・・・」
顔の側で呼ぶ声がする・・・なんとも陰気な感じの声だ。
「誰だよ・・・このまま眠らせてくれよ・・・」
「こんなところで眠っちまったら死んじまうぞ、ただでさえ大分弱ってるんだからな」
「いいんだよ、もう・・・生きてても良い事なんかないんだから・・・」
「命を粗末にするもんじゃない」
揺さぶられて俺は目を開けた・・・俺の顔を覗き込んでいるのはなんとも陰気な、冷たい感じがする男、頬はこけ、目は落ち窪んで骸骨に皮を張ったような・・・。
「・・・お節介だな・・・誰だよ?お前は・・・」
「俺か、俺は死神だ」
「死神?・・・ああ、俺を迎えに来てくれたのか?」
「お前は今ここで死んじゃいけない」
「はぁ?死神らしくない台詞だな、お前、本当に死神か?」
「俺たち死神は無闇に人間の命を取って廻ってるわけじゃない、死ぬと決まった人間を連れて行くだけなんでな」
「そうかい?・・・ならさっさと俺を連れてってくれよ・・・」
「そうは行かないんだよ、お前はまだ死ぬにはちょっとばかり早いんだ」
「いいじゃないか、本人が死にたいって言ってるんだから・・・」
「お前にはまだこの世でしなきゃいけないことが残ってる」
「俺が?・・・いいよ、もう何もかも面倒くさいんだ」
「まあ、そう言うな、もうちょっと頑張ってくれ」
「頑張れ?ははは・・・死神に励まされるなんて聞いたこともないや・・・」
俺は身を起して胡坐をかいた。
「俺がこの世でしなきゃいけない事ってなんだ?」
「そいつは死神の口からは言えないな」
「そういう決まりって訳か・・・俺はいつ死ぬんだ?」
「それも言えない決まりなんだ、悪く思わないでくれ」
「ああ・・・分ったよ・・・もう訊かないさ・・・」
「悪いな・・・ただこれだけは言って置いてやろう、お前はこの世で良い事をして死ぬ、それで死んだ後そのことで感謝されるんだよ」
「死んだ後に感謝されてもな・・・まあいいや、チンピラに殴り倒されて路地裏で野垂れ死にするよりはマシだろうよ」
「分ってくれたか」
「ああ・・・だけど困ったな、財布を抜かれちまったから俺はどこかに泊まることも出来ないんだ、アパートも燃えちまってね・・・」
「ああ、何もかも知ってるよ、これだろう?」
「俺の財布・・・取り返して来てくれたのか?」
「ああ・・・実は俺の友達がちょっとミスをしちまってね」
「は?どういうことだ?」
「あのチンピラはお前さんを殴り倒す前に死んじまう筈だったのさ、そいつを俺の友達がしくじっちまってね」
「ははあ・・・そのせいで死ぬはずじゃなかった俺が死んじまっちゃ、お前も友達も困るわけだな?」
「まあ、そう言う事だ」
「・・・分ったよ、財布も戻ったことだし、とりあえずその辺のカプセルホテルにでも泊まることにするよ」
「ああ、そうしてくれると助かる」
「ははははは・・・死神に『助かる』なんて言われるとはね」
「笑ったな」
「ああ、随分久しぶりに笑った気がするよ、おかげで少し力が沸いて来た」
「それでいい・・・」
「ああ・・・じゃあな・・・いつかまたお前に会うんだろう?」
「ああ、お前さんの担当は俺だからな」
「会いたいような、会いたくないような変な気分だよ」
「悪いが必ずもう一度会うことになってる」
「まあ、それはそうだな、人は必ず死ぬんだからな、何時かは知らないがその時はよろしくな」
「ああ・・・」
俺は立ち上がって歩き始めた。
なんだか気分はすっきりしている、不運続きだったが、死神に会って励まされてみると不運はこれで打ち止めのような気もしてくる、つい数分前までは打ちのめされた気分だったのだが・・・。