死神-3
あの事故から30年。
由美は宿直室のベッドにどっと倒れこんだ。
緊張の連続を強いられる、しかも長時間にわたる手術を終えたばかり、疲労はピークを超えていてサンダルを脱ぐことさえ億劫だったが、まだ緊張が解けずにいるのか、頭だけはやけに冴えていて目を閉じても眠れない・・・。
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救急患者は何の前触れもなくやってくる、特に事故の場合は救急隊からの連絡を受けて大急ぎで準備を整え、負傷者を受け入れるとすぐさま手術に取り掛からねばならないことが多い、おおまかな状態は救急隊から報告を受けているが、実際に運び込まれるまで詳細はわからない、しかも一刻を争う事態である事も多い。
たった今手術を終えたのは交通事故に会った小学生の女の子、複数の臓器にダメージを受け、出血も多かったが、頭を強く打ちつけていなかったのは不幸中の幸い、搬送が速かったのも功を奏して、手術室の前で懸命に祈っていた母親と、その肩を抱くようにして励ましていた父親に良い報告をすることが出来た。
とは言え、運び込まれた時は本当に危険な状態だった、手術は時間との戦い、女の子の生命力が死との戦いを続けているうちに救い出すには、由美も極度の集中を長時間持続しなければならない、『なんとか助けてあげたい』という思いが由美を支えていたのはもちろんだが、もうひとつ、脳裏に浮かぶある人の微笑みが由美を勇気付けてくれていたのだ。
折しも今日はクリスマスイブ、クリスマスイブには特別の思い出がある。
(あの子、あの時の私と同じくらいの歳ね、きっと・・・それもクリスマスイブに・・・)
ガラス窓越しに小さく聞こえて来る賑やかなクリスマスソング。
(そう、あの時もこの曲が流れてたな・・・不思議と良く憶えてる・・・)
そんな事を思いながら、由美は眠りに落ちて行った。
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「絵里ちゃん、具合はどう?」
数日後の朝の回診、あの晩の救急患者、絵里はまだ集中治療室からは出られないものの、順調に回復している。
「先生・・・お腹が痛い・・・」
「まだ痛むわね、でも大丈夫よ、だんだん良くなるから・・・痛いのも生きてる証拠なのよ」
「・・・私、あのまま死んじゃうと思った・・・」
「実際、危なかったわね、長い手術になったけどあなたも良く頑張った、偉かったわ」
「・・・怖かった・・・」
「もう大丈夫よ、でも私や看護士さんの言う事を良く聞いて早く治ってね、またお友達と一緒に学校へ行ける様になるから」
「・・・うん・・・先生、助けてくれてありがとう・・・」
「どう致しまして・・・でもその気持ちは忘れないでね、私だけじゃないのよ、すぐに救急車を呼んでくれた人も、救急隊の人も、看護士さん達も・・・沢山の人があなたを助けようと頑張ってくれたんだから、お父さんとお母さんも手術室の前でずっとお祈りしていてくれたのよ」
「うん・・・」
「私もね、丁度あなたくらいの時に交通事故に会った・・・いえ、会いそうになったの、でもね、ある人が私を突き飛ばしてくれて、代わりにその人が車に撥ねられて亡くなっちゃった・・・それまで全然知らなかった人なのに、見ず知らずの私の代わりに・・・その時から医者になろうと決めたのよ、私を助けてくれたその人の命はもう戻らないけど、私が一人でも多くの人の命を助けることができれば、それが恩返しになるんじゃないかって思って」
「・・・」
絵里は何も口にはしなかったが小さく頷いた。
「あなたも大きくなったら誰かを幸せにしてあげてね、たった一人でもいいの、あなたが誰かを幸せにしてくれたら、私もあなたを一生懸命に助けた甲斐があるわ、私を助けてくれた人も助けた甲斐があったって思ってくれるんじゃないかな・・・人の世の中ってそういうものじゃないかって私は思ってるのよ」
「うん」
「でも、まずは早く元通りに元気になってお父さんとお母さんを安心させてあげて、それが今あなたが一番しなくちゃいけないことよ」
「はい・・・」
「約束ね」
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由美はあの晩、由美の身代わりになって撥ね飛ばされた男性が、宙に舞いながらも微笑みかけてくれたのを今も鮮明に覚えている。
なにやら黒い影に抱えられるように男性が天に昇って行ったのも・・・。
そして、あの時、医者になろうと心に決めたのは間違っていなかったと確信している。
由美に命を、そして人の命を救う喜びをプレゼントしてくれたスーツ姿のサンタクロースは、今も変わらず微笑みかけてくれているのだから。