35章-2
「俺今から行くから、一緒に行かない?」
食い下がってくる田宮に、もうすぐ鏡哉が来るのに一緒にいるところを見られたくないなと美冬は困惑する。
「ほら、いこ」
「あ、あの……彼氏が迎えに来るので……」
美冬がしどろもどろでそう言った時、こちらへと歩いてくる鏡哉の姿が視界に入った。
とたんに美冬の顔が綻ぶ。
「じゃ、じゃあ、田宮君、院で!」
美冬はクラッチバックを持ち直すと、田宮にぺこっと頭を下げて鏡哉のほうへと小走りで駆けていく。
「美冬。待たせた」
ひと月ぶりに会う鏡哉に、美冬は少し頬を染めて首を振る。
鏡哉は田宮のほうをちらりと見て「もういいのか?」と聞いてきたが、美冬は頷いて鏡哉の腕にそっと掌を絡ませた。
連れ立ってエントランスを出るとリムジンの前に高柳が立っていた。
「高柳さん! お帰りなさい」
「やあ、美冬ちゃん。今日は一段と可愛いね」
いつも通りのお世辞を言ってくれる高柳に、もう慣れっこの美冬は礼を言って後部座席に乗り込む。
車が発信すると高柳が後ろを向いて聞いてきた
「社長、美冬ちゃんからまれてませんでした?」
「ああ。予想通りだった」
鏡哉のその返事に、美冬は怒っているのかとちらりと顔を確認したが、その表情は穏やかだった。
美冬の視線に気づいた鏡哉が少し首を傾げる。
「あんまりヤキモチを焼いたら、婚約者殿に嫌われますよ」
高柳の面白がった発言に、鏡哉は呆れたように「ふん」と鼻で笑った。
婚約者という言葉に、美冬は少し首を竦める。
鏡哉と将来を誓い合った日から三カ月後、二人は正式に婚約をした。
しかしそれから二年経った今でも美冬の立場は『婚約者』のままだった。
美冬は無意識に右手にした指輪に触れる。
二年前に婚約した時に鏡哉が贈ってくれた、永遠の輝きを放つそれ――。
本来なら心臓から直結すると言われる左薬指にすべきそれを美冬は右薬指にしていた。
左薬指にすることで同級生達に質問攻めにされるのを避けるためと、照れ臭さから。
隣に座った鏡哉が美冬の右手を持ち上げ、嬉しそうに眼鏡の奥の瞳を細める。
美冬は婚約指輪をめったにしなかった、大学にして行く訳にもいかなかったし如何せんこんな高級な指輪に傷でも付けてしまったら……と気になって日常生活が送れなくなるからだ。
インドでの話を男二人から聞いていると、程なくマンションのエントランスへと車が到着した。
ドアマンがトランクからスーツケースを取出してくれるのを横目で見ていると、高柳が美冬に近づいてくる。
「美冬ちゃん、社長は明日お休みだから。まあ、頑張って」
「高柳さん?」
何を頑張るのかと思い高柳を見上げたが、高柳は鏡哉に一礼してリムジンで去って行った。
「美冬?」
リムジンを見送ったまま動かない美冬を鏡哉が呼びかける。
「あ、ごめんなさい」
鏡哉を追いかけてエレベーターに乗り込み、部屋へと向かう。
部屋の扉を開けて中に一歩踏み入れいた瞬間、鏡哉が後ろから美冬を抱きしめた。
「あ〜……やっと美冬に会えた」
大きく息を吐き出してそう零す鏡哉に、腕の中の美冬も彼に身を任せて久しぶりの抱擁に瞼を閉じる。
スプリングコート越しに感じる鏡哉の逞しい胸と腕に抱かれていると、慌ただしかった今日一日の疲れが飛んでいくようだった。
「お疲れ様でした。お帰りなさい」
「うん、ただいま」
その声は振り向いて彼の顔を見なくても表情が分かるほど、幸せそうな声だった。
ゆっくりと腕を解いた鏡哉と連れ立ってリビングへと入ると、美冬は着替えて鏡哉にお茶を出そうと私室へと向かう。
しかしその手を鏡哉に引っ張られた。
「待った。袴姿見られなかったから、せめてドレス姿だけでも見せて」
まるで強請るようにそう言う鏡哉に苦笑して、美冬はコートを脱ぐ。
自分が見立てたドレスを完璧に着こなす美冬に、鏡哉が満足そうに頷く。
「綺麗だよ。清楚な美冬によく似合ってる。ちょっと化粧してる?」
綺麗だと褒められ、美冬はくすぐったくなる。
「はい。友達と一緒に美容室へ行って、髪もセットしてもらいました」
美冬は当初美容室に行くつもりはなかったが、友人達に半ば強制的に予約を入れさせられたのだ。
しかし今となってはそれで正解だったと思う。
謝恩会に来た女子達はみな凄く着飾っており、メイクもヘアスタイリングもばっちりだった。