9章-3
コの字型のワインレッドの革張りソファーに大人達に囲まれて座らされ、執事が用意してくれたリンゴ酒が双子の前に置かれる。
(しょうがない。ちょっとだけ舐めて――)
フルート型の細長いグラスを取ろうと腕を伸ばした瞬間、後ろから誰かに手首を握って止められた。
「え…………?」
驚いて振り返るとヴィヴィの顔の直ぐ傍に、匠海のそれがあった。
「困りますよ、伯父様方。この子達はスポーツ選手でもあるのですから」
ソファーの背越しに後ろからヴィヴィの手を掴んでいる匠海が、そう言って大人達を諌(いさ)める。
「つまんないこと言うなよ〜、匠海」
伯父達が笑う。
「それにクリスはともかくヴィヴィは見た目と違ってお子ちゃまなので、アルコールなんて飲ませたら大変なことになりますよ」
匠海のその言葉は、ヴィヴィの鼓膜を音の信号として震わせただけで、意味など理解できなかった。
ただ握られた手首が熱くて。そこから火がついたようにどんどん熱を持っていく身体を、皆に知られないようにするだけで精いっぱいだった。
やっと匠海に手を離されたヴィヴィは皆にばれない様に小さく息を吐き出すと、高鳴り始めた心臓を抑えようと必死になる。
「そうなの? 今年は結構大人になったなと思ったけれど」
伯母の一人がヴィヴィにそう言って微笑む。
「そういえば、去年までは『お兄ちゃん、お兄ちゃん!』って匠海の周りをうろちょろしてたのに、今年はしてなかったな。もう兄離れしたのか?」
ヴィヴィの気持ちなど知る由もないダニー叔父さんは、ヴィヴィをからかってくる。
(もう、伯父さんったらっ 余計なことばっかり!)
「そ、そうよ。ヴィヴィはもう大人の女性になったんだもん!」
みんなの注目を集めてしまったヴィヴィは、薄い胸をそらして腰に両手を当てて何とか反撃する。
「は! ヴィヴィが『大人の女』? こりゃ面白いことを聞かせてもらった」
爆笑する親族達をヴィヴィは納得いかない瞳で見渡す。
(むう……そりゃあ、胸まっ平らだけどさっ!)
「じゃあ、そろそろお子ちゃまは解放してあげよう。Good Night クリス、ヴィヴィ」
やっと退室していいとお許しを貰えた双子は、それぞれ就寝の挨拶と、また一年後の再会を約束して席を立った。
階上へ上がりクリスと別れ、宛がわれた部屋へと戻る。
小さなアンティークランプを一つだけ灯した薄暗い部屋で、ワンピースが皺になるのも気にせずベッドに文字通り倒れこむと、ヴィヴィはぎゅうと手首をもう片方の手で握りしめた。
「どうして……」
(どうして自分はお兄ちゃんに、お兄ちゃんだけに……)
その先を思うことすら恐怖であるように、ヴィヴィは瞼を強く閉じる。
(何も考えるな……何も、感じないで……)
そうヴィヴィが自分に言い聞かせていた時、コンコンとドアがノックされた。
ヴィヴィは今の心理状態で誰かに会って普通の対応が出来るとも思えず、居留守を使いたかったが、鍵を掛けていないドアは外から開かれた。
薄暗い部屋の中に細長い光が差し込み、それは徐々に幅を広げる。
「ヴィヴィ……? なんだ、いるんじゃないか」
廊下からの光で来訪者は逆光となり誰だか判別できないが、自分を呼ぶ声一つで相手が誰だが瞬時に分かった。
ヴィヴィは心臓がざわざわとざわつき始めるのを必死にひた隠しながら、ベッドからゆっくりと上半身を起こして匠海に向き直る。
ゆっくりと板張りの床をこちらへと歩いてくる音がする。
「……お兄ちゃん……」
ベッドの隣まで来た匠海を見上げ、ヴィヴィが小さく掠れた声で来訪者の名前を呼ぶ。
「ヴィヴィ、もしかしてアルコール口にした?」
匠海の意外な質問に、ヴィヴィは小さく首を振る。
その様子を見て匠海が自然にベッドに腰を下ろした。
ぎしりというスプリングの音が、静かな部屋にやけに大きく響く。
ヴィヴィの体がビクと震えたが、部屋が暗いおかげで気づかれなかったようだ。
「そうか、良かった。俺が席を外している間に、伯父さん達がまさか二人にアルコールを勧めるなんて思いもよらなくて。ごめんな……」
(そんな、お兄ちゃんが謝ることなんて、何一つないのに――)
ヴィヴィはそう思うのに、何か口にすると余計なことまで言ってしまうのではないかという恐怖で口を噤(つぐ)み、代わりに小さく首を振った。
そこで会話は途切れ、部屋には痛いほどの静寂が訪れた。
カチ、カチ、カチ、カチ――。
ベッドサイドの時計の秒針だけが音を刻み続ける、息苦しささえ感じる閉ざされた空間に、ヴィヴィの鼓動はどんどんと加速していく。