9章-2
ようやく取れた休暇を利用し、八月中旬の一週間――篠宮家はイギリスへと里帰りした。
父の実家のロンドンに三日間滞在し、母の実家のエディンバラに四日間滞在した。
実家の近くにリンクのあるロンドンならともかく、いつもならエディンバラでの滞在中はスケートの練習をしろと言わない母だが、今年は毎日車で往復三時間かけてリンクへ行くことを双子に強要した。
クリスはいつもコーチである母の言う事を必ずきくが、ヴィヴィはそうでもなかった。
特に今回のように、オフなのに一年ぶりに折角会えた親族と離れ、はるばる遠くへ練習をしに行かなければならないなど、今までのヴィヴィなら不満爆発だった。
しかし「分かりました」とたった一言だけで母の命令を受け入れたヴィヴィに、さすがに家族は彼女に起きている異変を感じとった様だった。
明日エディンバラ空港から羽田空港へと帰るということで、母の実家では親族一同が集まってパーティーを催してくれていた。
お気に入りのパウダーピンクのホルターネックワンピースを纏ったヴィヴィは、大人達のテーブルとは少し離して設けられた子供達用のテーブルでいとこ達とディナーを取ると、サンルームへと移動してビリヤードやボードゲームに興じた。
既に日が落ち、室内はクラシカルなシャンデリアで暖かい光に満ちていた。
「あ! またクリスの一人勝ちかよ〜っ!」
テーブルサッカーゲームでクリスと対戦していたいとこのジョンが地団駄を踏んで悔しがる。
いとこ達の年齢は上は二十五歳から下は五歳まで幅広かったが、ヴィヴィ達と同じローティーンのいとこが多かった。
ヴィヴィはクリス達男子の騒ぐ声を聴きながら、同い年の女子の従姉妹――サラとファッション雑誌を見ていた。
「あ! これも欲しい。こっちのワンピも! でももっと痩せなきゃ着こなせないかな〜」
サラはそう言って自分の腹部をさする。チアリーディングをしているサラは十分スタイル抜群なのだが、ダイエットをしているらしい。
「え〜? 痩せる必要なんてないでしょ。メリハリがあってすごく羨ましいんデスガ……」
ヴィヴィは自分の凹凸の少ない貧相な身体を見下ろし、嘆息する。身長はまた伸びて百六十五センチでどうやら止まったらしい。
今度からは取った栄養が胸やお尻に行ってくれればいいが、とヴィヴィは心底思う。
「何言ってんの! ヴィヴィは細くてもしなやかでいいんだよ。私だってなれるもんならヴィヴィみたいなスレンダーになりたいさ〜」
どうやら女子というのは、無いものねだりが好きらしい。お互い顔を見合わせて苦笑する。
「お〜い、サラ。弟が “おねむ” みたいだよ」
他のいとこに呼ばれ、サラは「寝かしつけてくるね」と言って隣から立ち上がった。
サラが七歳も年下の弟を重そうに抱っこしてサンルームを出ていくのを、瞳を細めて見つめていたヴィヴィだったが、それと入れ替わりに長いディナーを楽しんでいた大人達がぞろぞろとやって来た。
壁にしつらえられたアンティークの時計を見ると、もう十時前だった。
そろそろ大人達にサンルームを明け渡たす時間だと察したいとこ達が、ゲームを終えてサンルームを後にしていく。
ヴィヴィはサラが戻ってくるかもと思いここで待とうか迷ったが、視界の端に匠海を見つけ迷いなく席を立った。
「おやすみなさい」と皆に就寝の挨拶をしながらヴィヴィを待っていてくれたらしいクリスの傍に行くと、いきなり腕を掴まれた。
「クリスもヴィヴィももう十六歳なんだから、まだいいだろ?」
絡んできたのは母の兄、ダニー伯父さんだった。この人は底抜けに明るい。酒が入れば突き抜けて明るい。けれど酒が入るとあまり人の迷惑が考えられなくなる、ちょっと困った人だった。
「……まだ十四歳ですよ、伯父さん」
クリスがやんわりと間違いを指摘してこの場を逃れようとするが、伯父はがははと笑い飛ばす。
「何言ってんだ!英国では五歳から飲酒出来るんだぞ」
確かにダニー伯父さんの言うとおり、英国において家庭では五歳から、バーやレストランではビールとリンゴ酒なら十六歳から飲酒が認められている。
「私達、その辺は日本人らしくしようかと――」
笑って誤魔化しながら拒否してみるが、周りの大人達から「お前達は3/4は誇り高き英国人じゃないか」と囃(はや)し立てられる始末だった。
目線で父と母に助けを求めるが、二人ともかなり泥酔して他の親族との話に夢中でこちらを見さえしてなかった。
(この両親にして、この親族あり――後で覚えといてよ、ダッド、マム!)
隣のクリスに目くばせで「しょうがない、飲んでるフリをして隙を見て逃げ出そう」と訴えると、クリスは小さく頷いた。