7章-5
「人は何故、婚前交渉をするのかね。カレン君――?」
化学の実習中。
風邪から完全復活したヴィヴィは、制服の上から白衣を纏い。
目を薬品から守る透明なゴーグルの柄(え)を人差し指で持ち上げながら、おもむろにそう口を開いた。
その姿はまるで、『神秘の謎を解明しようとする学者』の図だ。
「…………は?」
聞き取れなかったのか、カレンは中途半端に口を開いて、ヴィヴィに問い直す。
「聞こえなかったかね? 人は何故、婚・前――!」
大声でそう発し直したヴィヴィが言い終わるより前、
カレンが両手でその口を塞ぎ、必死に阻止した。
「なっ!? 何言ってんのよ、ヴィヴィってばっ!?」
押し殺した声で威圧してくるカレンに、ヴィヴィはさらに言い募る。
「何って、もごもご――」
しかし、また口を塞がれてしまった。
不満そうに眼で訴えるヴィヴィを、カレンがそのままずるずると引きずり、実験室の隅まで運んでいく。
「もうっ ヴィヴィったら、恥ずかしいでしょ! そんな事、公衆の面前で言うなんてっ!」
そう言うカレンの頬は、少し赤らんでいた。
「恥ずかしい……?」
「そうよ! 普通は恥ずかしいのっ。まったく……、ヴィヴィは世間知らずで、お子ちゃまだから、まだ分かんないかもしれないけどっ」
「……むぅ……」
子ども扱いだけでなく、世間知らず扱いまでされ、むっとしたヴィヴィ。
「世間知らずじゃないもんっ。婚前交渉とは、未婚の男女が性行為をすることで、イスラム教国の中には、婚前交渉を行った女性や、行ったと疑われた女性(強姦被害者を含む)が、名誉の殺人の対象となることがある、とっても危険な行為よ――!」
ヴィヴィはそう一気にまくしたてると、深刻そうに目蓋を閉じ、腕組みをして考え込む。
「……ヴィヴィ、イスラムの教え、信じてたっけ?」
カレンが慎重に言葉を選んで、質問する。
その答えによっては、発言内容を変えなければならない、センシティブな問題だから。
なのに、
「ううん」
ヴィヴィはケロッとした顔で、子供っぽく首を振って即座に否定した。
その瞬間「違うのかよっ!!」とカレンが心の中で突っ込んだのは、ヴィヴィの知るところではない。
その代り、ヴィヴィの顔を正面からボスと掌で叩くと、肩を竦めた。
「とにかくヴィヴィ。こんな所で、しかも授業中にしていい話じゃないの。ランチタイムまで我慢しなさい!」
「ふぁ〜い……」
ヴィヴィは唇を尖らせると、すごすごと自分の班に帰って行った。
「――で、なんで?」
ランチタイム。
2人は裏庭の芝生の上で、ランチボックスを開いていた。
そこにいつもなら一緒にランチをとる、クリスの姿はない。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴った途端、カレンが
「ごめん、クリス! 今日は2人で、ランチとるからっ!」
とクリスに謝りながら、ヴィヴィの首根っこを掴み。
脱兎の如く、教室を後にしたからだ。
さすがにヴィヴィの名誉を考えると、己の双子の兄の前で『婚前交渉の是非について』語り合うのは、
今は恥ずかしくないかも知れないが、大人になってからこっぱずかしい、消したい記憶になるだろう。
カレンがこんなに苦心しているのに、当の本人は、
「カレンのサンドウィッチと、ヴィヴィのおにぎり、交換しよう?」
と呑気に、ランチボックスに手を伸ばしてくる。
食欲など無くなったカレンは、ランチボックスを親友へ押し付けた。
「はぁ……、1つ聞くけど――いや、いっぱい聞くけど。ヴィヴィはセックスについて、どこまでの知識があるの?」
「セックス?」
ヴィヴィが可愛らしく首を傾げながら、宙を見上げる。
その両手には、しっかりとサンドウィッチが握られている。
まさに、色気より食い気――。
「う〜んと、セックス――つまり性行為とは、男性の精子を女性の卵子に届け、受精させるための行為――言わば妊娠出産の為の行為」
言っている事は間違ってはいないが、
「って、具体的には?」
「具体的? どうやって受精させるかってこと?」
うんうん頷くカレンに、ヴィヴィは即答する。
「男性器を女性器に挿入して、精子を送り届けるんでしょ? つまりペニスを膣に入れる?」
芝生の上に佇む2人に涼しい風が吹き、少女達の金髪をそよがせる。
どこからどう見ても、うら若き乙女のランチタイムの図だ。
会話は全く以て、似つかわしくないが――。
「なんだ。ちゃんと知ってるじゃない」
「そりゃあ、授業で習ったじゃない?」
それもその筈。
BSTでも初等部高学年から、性教育を行っていた。