7章-4
「長湯して、風邪ひいちゃったんだって? 困った子だ」
自然に伸ばされた手は、ヴィヴィのまだ幼さが残る輪郭を指先で辿り、
やがて大きな掌全体で、頬を包まれる。
その途端、
ヴィヴィの背筋を、ゾクゾクと何かが通り抜けた。
きっと、熱があるヴィヴィの体には、匠海の手を冷た過ぎると感じたのだろう。
「熱いね……。しんどいだろう、可哀そうに……」
(しんどい、です……)
心の中でそう言ってみるが、匠海には伝わっていなかったようだ。
なぜかプッと吹き出され、ヴィヴィは不思議そうに、瞳だけでその様子を追いかける。
「ヴィヴィ、ほっぺ真っ赤で可愛い。リンゴみたい」
病人に対して、そう不謹慎なことを言って笑う兄に、妹は小さく頬を膨らませて反抗する。
しかしその後、その頬を愛おしそうに さわさわと撫でてくれたので、
ヴィヴィは「まあいいか」と溜飲を下げた。
その後、ヴィヴィが擦った果物を苦心して流し込み、解熱剤を服用したのを確認すると、
匠海は「ちゃんと朝まで、寝てろよ?」とヴィヴィに忠告して帰って行った。
解熱剤と朝比奈の献身的な介護で、ヴィヴィは翌日の昼頃には平熱に戻った。
まだ咽喉は痛いが食欲も出てきて、消化のよさそうなランチを用意して貰い口にする。
「しかし、お嬢様が倒れられたときは、びっくりしました」
朝比奈が給仕をしながら、ヴィヴィに話し掛けてくる。
「学校でのこと?」
「いえ、そうではなくて――覚えていらっしゃらないのですか?」
「…………?」
不思議そうに見上げてくる幼い主に、執事は苦笑した。
「お嬢様は学校から帰られて昼食を取った後、多分バスルームに行かれたのでしょうね。リビングで倒れられていたのですよ?」
「…………え?」
身に覚えのない事に、ヴィヴィは驚く。
全く覚えていない。
夢遊病のように、一人でバスルームに行ったのだろうか?
「本当にびっくりしましたよ。匠海様のお部屋との扉の前で、大の字に突っ伏してらっしゃったので。最悪の事態を、想像してしまいました」
最悪の事態――要するに朝比奈は、ヴィヴィの事を死体と勘違いしたというのか。
困った執事だ。
(って……、あ、れ……?)
小さな頭の中、何かが引っ掛かる。
何かは分からないが、先程の朝比奈の発言を聞いた途端、ヴィヴィの心がもやもやと煙り始めた。
不可解に思い、朝比奈を見上げると「今、なんて言った?」と問い直す。
「死体と間違えました……、ですか?」
(やっぱり、そう思ってたのか――)
「ううん、その前――」
「匠海様のお部屋との扉の前で、倒れていらした……、でしょうか?」
反芻してみせた朝比奈を、見つめるヴィヴィの瞳が、徐々に落ち着きを失くしていく。
「…………あ、れ……?」
何か自分は、大切なことを忘れているような気がする。
手にしていたスプーンを皿に置き、過去の残像へと必死に手を伸ばす。
(ヴィヴィ……、何か……見た。なんだろう? 確か、お兄ちゃんの事なんだけど――)
もう少しで思い出せそうなのに、思い出せない。
そのモヤモヤが気持ち悪く。
水の入ったグラスに手を伸ばし、それを飲み下そうとした途端、
「げほ……っ! ごほごほっ!」
ヴィヴィは激しく咳き込んだ。
突然のことに朝比奈が驚き、ナプキンを手渡し、小さな背中を擦る。
(おっ 思い出した……っ ヴィヴィ――っ!!)
何を見たか、断片的に思い出してきたヴィヴィだったが、
最後に “匠海が麻美を自分のもので下から突き上げている映像” を思い浮かべ、また更にむせた。
(お、お兄ちゃんたら……『婚前交渉』、していたなんて――っ!!)
小さな顔が真っ赤に火照り、熱を持ち。
蒸気でも吹き出しそうな勢いを抑え込もうと、ひたすら両手で顔を覆う。
そんな主の様子を目にし、
「また熱が上がりましたかね?」
と、仕事熱心な執事は、心配そうに見守っていたのだった。