5章-3
どもりながら答え、どやされる前にコーチのいるフェンスから、少しでも遠ざかろうとしたヴィヴィだったが、ジュリアンの反応は予想と違っていた。
「ふうん……」
彼女にしては珍しく、曖昧な相槌を返しながら、胸の前で両腕を組む。
その表情は、何か思案している様にも見えて。
(……………?)
何も言われなかったので、スピンの練習でもしようと、氷を蹴りかけた時、
「もう1回、滑って見せて?」
コーチが思いがけない事を口にしてきた。
「え……? さっきの曲を……ですか?」
「そうよ。ジャンプは適当に、流してでいいから」
ジュリアンはそう言うと、有無を言わさずiPodで曲を流し始める。
ヴィヴィは焦って、所定の位置まで滑ってポージングすると、
先程 即興で滑ったプログラムを、反芻して見せた。
2回目なので、更に情感豊かに仕上げようと、努力してみる。
3分程のプログラムを滑り終え、リンクサイドへ戻ると、ジュリアンはうんうんと頷いていた。
「いいじゃない……」
「え?」
「ヴィヴィのオリジナル? こんなの、いつ作ってたの?」
「今日……学校でこの曲を聴いて、滑ってみたくなって――」
ヴィヴィのその返事に、コーチは目を丸くして驚く。
「今日1日で作ったの!? へえ……まだまだ改良の余地はあるけれど、いいわ。そうね……、今シーズンのエキシビションにしましょう」
今度はヴィヴィが驚く番だった。
「えっ!?」
「なんでそんなに驚くの?」
「だ、だって……」
「私も現役時代、自分で振付したり、コーチと一緒に考えたりしてたのよ?」
「知らなかった……、じゃなかった。知りませんでした」
慌てて言い直す生徒に、コーチはふっと瞳を細める。
「自分の事を一番解っているのは、自分だもの。振付や曲に興味を持つことは、いい傾向よ」
「……………」
てっきり怒られると思っていたのに、珍しくスケートに関しての事で褒められたヴィヴィは、
驚きと嬉しさで言葉に詰まって、コーチの顔を見つめ返した。
「ま、“お子ちゃま” なヴィヴィが創ったんだから、ちょっと子供っぽ過ぎるけれど。ヴィヴィ達にとっては、きっと今シーズンが最後の、ジュニアのシーズンになるでしょうからね。“お子ちゃま” でもいいか」
「………………」
( “お子ちゃま” って、2回も言った……っ!!)
バカにされた気がして、知らず知らず ぶ〜と、頬を膨らませたヴィヴィだったが、
「じゃあ話は済んだわ。これからリンク使うから、ヴィヴィは出て行きなさい」
と、コーチにリンクから放り出されてしまった。
ヴィヴィと入れ替わりに、ペアスケーティングの2人がリンクに入る。
ペアスケーティングのペアは日本では数少なく、このスケートクラブでも彼ら1組しかいない。
成田達樹と下城舞のペアはお互い19歳で、来シーズンからシニアに上がる。
彼らとは小さい頃から互いを知り、仲の良いヴィヴィは、しばらく2人の滑りを見守っていた。
舞がヴィヴィに気づき手を振ってきたので振り返すと、ストレッチをしにフィットネスルームへと戻って行った。
本日の練習を終え、24時前に篠宮邸に戻ると、ヴィヴィは練習着のまま、真っ先に防音室へと向かった。
だいたいこの時間は、匠海が1人でピアノやチェロを弾いているのだ。
防音室の分厚い扉をバーンと音を立てて豪快に開けると、視線の先に兄を見つけ、大声で発した。
「お兄ちゃん! ヴィヴィ、マムとエキシビの振り付け、する事になったのっ!」
いきなり凄い勢いで登場したヴィヴィに、匠海は少し驚いていたが、
ピアノを弾いていた手を止めると、「おいで」と妹を手招きした。
「どの曲、使うんだ?」
グランドピアノの近くまで小走りに寄って来た妹に、兄は椅子に腰掛けたまま尋ねてくる。
「When you wish upon a star!」
「ふうん。いいね」
そう言うと匠海は鍵盤に長い指を降ろし、即興で『When you wish upon a star―星に願いを―』を弾き始める。
少し色気のあるクラッシック調の、星に願いを。
鍵盤を見つめて伏し目がちにされた目蓋の先では、長い睫毛が色素の薄い頬に影を落とし、
サラサラの黒髪が、緩やかに揺れ。
そんな兄を、妹はグランドピアノに頬杖を付き、うっとりと見つめていた。