4章-3
翌朝。
目覚ましがなくても、早朝5時に目が覚めたヴィヴィは、まだ匠海の抱き枕にされたままだった。
その腕の中は今までいたどの場所よりも居心地がよく、ずっとこうしていたかったが、
さすがにスケートの練習に行かなければならない。
ヴィヴィはもぞもぞと身じろぎし、両手で兄の広い背中をポンポンと優しく叩くが。
匠海はまだ寝たりないのか「もう、ちょっと……」と呟き、妹の髪に顔を埋めてくる。
確かにせっかくの日曜日の、しかも匠海にとってはまだ早朝ともいえる時間――。
「うん、ヴィヴィだけ起きるから……」
兄にもっと寝ていてほしくて、小さくそう囁きながら広い背中をさすった時――、
「…………ぅ、ん…………?」
疑問を含んだ唸りを上げた匠海が、腕の拘束を緩め、ヴィヴィの顔を覗き込んできた。
その目蓋はまだ、半開きだ。
「おはよ、お兄ちゃん」
ヴィヴィは無邪気にそう言って微笑んだが、その妹を見つめていた灰色の瞳は、徐々に見開かれていく。
そしてその瞳がようやく焦点を合わせ、抱きしめている相手が妹だと察すした途端――絶句した。
「な゛っ…………!?」
匠海の整った顔がちょっと間抜けに見えるほど、驚きの表情を浮かべていて。
「な……? って、なあに?」
寝ころんだまま不思議そうに、隣の匠海を見上げるヴィヴィだったが、
次の瞬間、身体を素早く起こした匠海に、両手首を掴まれ、仰向けにベッドに押さえつけられた。
「こ……っ、ここで何してるんだ、ヴィヴィっ!?」
「え……、お兄ちゃんと一緒に、寝てる……? っていうか、寝てた?」
質問の意図が読めず、ヴィヴィは当たり前の状況を説明してみる。
「――――っ 馬鹿!!」
いきなり意味も分からず怒鳴られた妹は「へ?」と間抜けな声を発した。
「前に言ったよな? もう俺とは一緒のベッドに入っちゃ、駄目だって!」
凄い剣幕で上から威圧してくる匠海に、ヴィヴィは驚いた。
確かに半年前「もう兄離れしなさい」と窘められた時に「ベッドにも潜り込んじゃ駄目」と言われてはいた。
いたけれども――、
「ヴィヴィ、あの時『うん』って言わなかったもの」
そう揚げ足取りな返事をし、悪戯っぽく舌を出したヴィヴィは、
「四の五の言うんじゃない!」と一喝されてしまった。
普段の匠海は、ヴィヴィがいくら我が儘を言って甘えても、そんな頭ごなしに怒ることはなかった。
ちゃんと駄目な理由を説明して、叱られるのが常だった。
だからヴィヴィは余計に、匠海が自分を拒絶する意味が分からず、悲しくなる。
もしかして、兄は自分のことを、嫌いになってしまったのだろうか――と。
「むぅ〜……、どうして、そんなに怒るの……?」
「どうしてって……、そんな事、考えれば分かるだろう?」
ようやく絞り出したヴィヴィの問いにも、匠海は明確な返事を返してくれない。
「……分かんない。ヴィヴィはただ、お兄ちゃんと一緒に、いたかっただけだもん……」
拗ねた様に小声で、もごもごと言い募るヴィヴィ。
匠海の拒絶に必死に抗うその瞳には、純粋に慕っている兄への愛しさだけが浮かんでいた。
妹のあまりの無防備さに、匠海はまるで自分の方が、悪い事をしているような気にさえなる。
真っ直ぐな瞳に下から縋り付くように見上げられ、匠海は居たたまれなくなって目を逸らした。
しかしそれも一瞬で――、
「まさか――、クリスとも一緒に、寝たりしてるのかっ?」
嫌な事に気づいてしまったという表情で、兄が妹に詰め寄る。
何でそんな事を気にして、心配するのか一向に分からないヴィヴィは、困惑の表情のまま首を振った。
「……寝てないよ。だってクリスとはいつも、朝から晩まで一緒にいるから……」
(それにクリスはいつも、練習終わって帰って来るとぐったりしてるから、1人で休ませてあげたいもの……)
匠海だって、大学と後継者教育の両立でいつも疲れているのだが、ヴィヴィはそこはあえて考えない。
それこそ、ヴィヴィが末っ子で、我が儘であることの表れだ。
妹の返事に深い嘆息を零した匠海は、ゆっくりと噛み砕くように説得を始めた。
「いいか、ヴィヴィ――。俺達は兄妹だけれど、男と女だろう? 一緒に寝てても、何もある筈がないけれど、使用人達や外部の者が知ったら、変に勘ぐる輩も出てくると思わないか?」
「……何を、勘ぐるの?」
「え……、そんなこと言わなくても、もうヴィヴィも14歳なんだから、分かるだろう?」
答え辛そうにはぐらかす匠海に、ヴィヴィは心底当惑する。
(…………? 本当に分からないんだけど?)