2章-1
スケーターの朝は早い。
ベッドサイドの目覚まし時計が、5時にその長針を合わせる1秒前。
ヴィヴィはふかふかの羽毛布団の中からにょきっと伸ばした腕で、アラームが鳴る前にボタンを押した。
うつ伏せでベッドに突っ伏し、そのまま微動だにしない。
「………………」
(眠い、寒い、しんどい――)
冬の三重苦を頭の中で呟くのは、毎朝の日課。
これが夏だと、眠い、暑い、しんどい――に変化するだけ。
けれど数十秒後、ヴィヴィはおもむろにむくりと起き上がると、ぺちっという音を立てて白い頬を叩き覚醒した。
細いけれど適切な筋肉の付いた長い脚を下してベッドから降りると、素早く手を動かして朝の支度を済ませる。
朝は1分1秒が惜しい。
ちょっとでも早くリンクに行って、練習したいのだ。
(今日こそは、コーチが「ぎゃふん」と言っちゃうようなステップ、踏んじゃうんだからっ!!)
ヴィヴィはジュニアの世界女王だが、もし今シニアの世界の放り込まれたら、
ジャンプでは確実に他を圧倒するが、ステップやスケーティングのスキル、表現力においては若干見劣りする。
経験年数の浅さという明らかなハンデが、その一因であるからだ。
そのことを毎日のように、コーチ陣に言われ続けているヴィヴィは、今日こそやるぞと気合を入れる。
頭の中ではロッキーのテーマが流れ、アドレナリンが噴出し、完全に目が覚めた。
ふふふんふん〜♪と鼻歌を奏でながら私室から出ると、天井の高い長い廊下を抜け、階下の広い玄関ホールに降りる。
そこには黒いウェアに身を包み、準備万端の双子の兄クリスが、ソファーに座って待っていた。
その傍に立っていた双子付きの執事・朝比奈が、軽い足取りで階段を下りてきたヴィヴィに気づき目礼する。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう朝比奈、Good morning クリス」
ヴィヴィがクリスの傍まで近づくと、クリスは立ち上がり妹を軽く抱き寄せ、その金髪にキスを落とす。
「morning ヴィヴィ」
そのまま連れ立って黒塗りのベンツに乗り込むと、助手席の朝比奈から渡されたiPadで、各々の昨日の練習をチェックする。
自分のスケーティングを一歩引いて見つめなおし、毎日修正点を確認することを、コーチから義務付けられていた。
車はすぐにリンクに到着し、朝比奈に開錠して貰い中に入る。
途端に冷気が頬を撫でる。
その冷たさで頭がさらにクリアになり、2人はトレーニングルームでストレッチをすると、
スケート靴を履き、氷の上に立った。
6時前の朝一のリンクは製氷され、輝いている。
ヴィヴィはこの綺麗なリンクに、自分の滑った軌跡が描かれるのが好きだった。
ちょっとした優越感に浸りながら、一通りアップを済ますと、コーチから出されている課題をこなす。
(オープン・モホーク……、クローズド・モホーク……、スウィング・モホーク……)
頭の中で両足の動きを確認しながらステップを踏むが、ついつい前傾姿勢になってしまう。
これでは美しくない。
さらにもっとエッジを深く倒さなければ、レベルを取れない。
何度も何度も反復して、地味なステップの練習を重ねる。
決して楽しくはないが、それしか上達の近道はありえない。
時間を忘れて黙々と滑っていると、隣からジャッと氷の削れる音がした。
音の方向を見ると、美しいランディングでジャンプを降りた、クリスの姿が目に入る。
13歳で既に身長が180cm近いクリスのジャンプは、迫力がある。
壁の時計を確認すると、終了時間が迫ってきていた。
ヴィヴィは軽く膝を屈伸すると、ジャンプの練習を始めた。
1時間半の朝練を終えシャワーを浴びると、リンクに併設されているカフェで、朝比奈が用意してくれていた朝食を食べ、双子は車で学校へと向かった。
「おっはよう! クリス、ヴィヴィ」
「テレビ見たよ〜!」
校門をくぐると同時に、同級生や上級生に英語で声を掛けられる。
下級生達は遠巻きに双子を見つめ、何事か囁き合っていた。
それぞれに朝の挨拶をしてクラスルームへと向かうと、そこでもクラスメイト達に昨日のテレビの事を言われた。
ヴィヴィは紺色のダッフルコートを脱ぐと、白シャツ、紺地に赤色のラインが入ったタータンチェックのワンピースの制服姿で、自分の席に着席する。
クリスもダッフルコートを脱いでロッカーに片づけると、ヴィヴィの前の席に座った。
男子の制服は白シャツに、女子と同色のタータンチェックのネクタイとパンツ、紺色のセータもしくはトレーナーと、普段はカジュアルだ。