蒼虫変幻-12
あのとき、私は確かにこの目の前の湖で美しい青年と出会った。いや、それが現実であったの
か幻覚であったのかは定かでない。しかし、彼が別れた恋人に似た、どこか不思議な愁いを漂
わせる瞳をもった青年であったことの記憶だけは今でも鮮やかに甦ってくる。
私の封じ込められた性が、自虐という甘美な妄想で新たに甦ることを知ったのはあの塔での
出来事だったのかもしれない。塔の部屋に囚われた私は、あの青年の目の前で黒いマントを
着た亡霊に性を貪られ、全裸で刑具に縛りつけられた。鋭く尖った棘の鞭を打たれ、乳首をナ
イフで削がれ、陰毛を焦がすほど焼印を肉襞に突き刺されたのだ。
そして、鳴り響く雷の閃光電流によって肉体が引き裂かれるほどの過酷な拷問の幻覚によって、
私の虚ろな性の空洞は清麗な香りをふたたび放ち始め、薔薇色の焔をあげて溢れるほどの蜜を
滴らせることができた。その幻覚によって私の中の苦痛は苦痛でなくなり、私を快楽に溢れた
冥土へといざない、子宮の奥深くに甘美な性を目覚めさせ、肉洞が焼き尽くされるほどの絶頂
へと私を導いたのだった。
そのすべてが私の自虐的な妄想であったことには間違いないのだが、あの青年のペニスの記憶
だけは、刑架に縛めた私を残酷な拷問にあわせた亡霊の記憶と重なり合いながら心の奥底に
鮮やかに残っていた…。
くわえた煙草の薄い煙をゆるやかに冬の冷気の中に吐く。紫煙に混じった白い息が微かな風を
孕みながら、黎明の仄かな光にまぶされていく。光は陰鬱なほど静まりかえった湖の表面に溶
けていく。
あのボート小屋に住んでいた若い男が、数年前にこの湖に身を投げたことを地元の老人から聞
いた。しかし遺体はその後も発見されてはいない。その若い男が私が出会った青年であるのか、
そして彼がどんな理由で死を選んだのかは、私が知る由もない。ただ、彼がいつも愛用してい
たサバイバルナイフと一枚の女性の写真だけがボートに残されていたという。
ホテルの裏手にある古い教会の鐘楼が、冬の朝を知らせる鐘を響かせる。私の瞳の中に広がる
憂鬱な森の翳りと湖の情景に、あの青年の甘美な悲哀が安らかに溶けていくようだった…。
「屈辱というのは、なんといったって浄化だ。これはいちばん痛切な、苦痛をともなった意識
なんだ。ぼくは明日にも、あの女の魂を汚し、彼女の心を疲れきらしてしまうかもしれない。
だが、このままなら屈辱は彼女のなかで決して死に絶えることがない。そして、彼女の行く手
にある汚れが、どんなに醜悪なものであっても、屈辱は彼女を高め、清めてくれるだろう…」
(フョードル・ドストエフスキー)