蒼虫変幻-11
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エピローグ
冬だというのに季節外れの休暇をとった私は、久しぶりにあの療養所のあった場所に近い湖畔
のホテルをひとりで訪れていた。ホテルの部屋の外は森閑とした暗闇に包まれていたが、微か
に黎明の光を含み始めていた。
私はネットに投稿する小説を書き綴っていたパソコンのキーを打つ指を止め、濃いコーヒーを
口にした。からだの奥にとらえどころのない微かな火照りを感じ、ほのかに汗ばんだ胸元に手
をあてる。そして厚めのガウンを着ると、部屋のバルコニーに出てみる。冬の夜明けの澄みき
った冷気が首筋を撫でるのが心地よかった。
バルコニーに佇みながら、私は煙草に火をつける。早朝に小説を書く時間だけは必ず煙草を吸
いたくなる。目の前に広がる淡い闇に包まれた湖はまだ深い眠りに沈んでいた。微かに明らみ
始めた空には、砕いた宝石のような星が黎明の淡い光に消え入るように散りばめられていた。
十年前、三十五歳の私には恋人がいた。そしてあの夜…彼は私を港町の廃墟となった倉庫の
地下室に誘い、彼自身の目の前で見知らぬ男たちに私を強姦させたのだった。
彼はただ無慈悲な瞳に薄い笑みを浮かべ、強姦される私の姿を見ていただけだった。私は数人
の男たちに手足を押さえつけられ、衣服を剥がれ、執拗に輪姦された。そのすべては、彼が
仕組み、彼が望んだことだった。
男たちの白濁液の飛沫がもがき悶える私の中に滲み入る姿を、じっと見ていた恋人の物憂い瞳
が私は今でも忘れられなかった。私を犯した男たちが去った後、彼は私を強く抱擁し、接吻し
たときに言った…ぼくたちの新しい関係が始まる…と。
心を深く病んだ私は恋人と別れた。恋人の前で屈辱に晒された私の心と肉体は、毎夜のように
烈しい苦痛で苛まれた。そして、私は夢遊病者のようにこの地に迷い込み、当時ここにあった
精神科の療養所に隔離されたのだった。
当時の療養所で、私がどんな生活をしていたのかほとんど記憶がなかった。ただ、療養所の
近くの林の中に、悪霊の塔と呼ばれる黒い十字の刑架のある秘密の部屋があったことだけは
確かな記憶として残っていた。ただ、そんな塔があの場所にあったことを知る人は誰もいなか
った。私はあの塔がどこにあったのかを確かめるためにふたたびここを訪れたのだった。
あの塔は私にとっては牢獄であり、心と肉体を屈辱という淫底に晒す拷問の場所でもあった。
いや、それが私の精神的な病魔に侵された幻覚と妄想であったことは言うまでもないのだが、
私にとっては、あのとき、あの塔で遭遇した出来事が、なぜか今の私の中にある種の甘美な性
の追憶と浮かび上がることがある。
それは私の中に刻まれた、あの強姦されたときの忌々しい悪夢が解き放たれ、別れた恋人の
影がふたたび私の中で瑞々しく浄化されていく幻の瞬間でもあるような気がした。
黎明の仄かな光に包まれ始めた遠くの山並みが、蒼い翳りを少しずつゆるませている。
私が入院していた療養所はすでになくなり、あの塔を見つけることはできなかったが、湖畔の
懐かしいボート小屋だけは、誰も住む人がないままに放置されていた。