25章-2
「……お前……美冬に何を言った」
鏡哉の低く怒りを殺した声が部屋に響く。
「当たり前のことを言っただけだ――高校に行きたくないのかと」
その答えに鏡哉の眉が顰められる。
「あの子は行きたくないと言った。必死に否定してきた……」
「なら――」
「あんたが言わせたんだ。社長が美冬ちゃんにずっと、自分自身に嘘をつかせてきた」
「……嘘、だと……?」
高柳の言葉に、鏡哉の胸の中が氷を当てられたように、すっと冷えた。
「………」
(自分が、美冬に嘘を付かせてきた?
どうして自分達の間に嘘が必要なのだ。
私達はこんなにも愛し合っているのに――)
「私は美冬のことを愛している……だから、失わないように、離れていかないように……」
(自分の腕の中に閉じ込めて――)
「……信じていないからじゃないのか、美冬ちゃんを」
上から降ってきた言葉に、鏡哉はゆっくりと顔を上げる。
「あんたは最初から彼女を信じてやれなかった。愛していると口で言っていても、拘束していないとどこかへ行って自分の元へ戻らないと、信じてやれなかった……」
「……ちがう」
高柳と合わせていた瞳が震える。
「何が違う? あんたは口先だけだ」
高柳の言葉が深く胸を抉(えぐ)る。
「違う違う違うっ!」
鏡哉が耳を抑え、大声でわめく。
溜息をついて膝を折った高柳がその両手をゆっくりと外した。
「あの子は、貴方が失った従妹とは違う――生きているんだ」
顔を歪ませた鏡哉が首を振る。
「そして、貴方も生きている。もういい加減自分を信じて、自分も彼女も開放してやれ」
握られた両腕から高柳の温かい体温が伝わってくる。
落ち着いた高柳の声でぐちゃぐちゃになった頭の中が、少しずつ静かになっていくのが分かった。
だらりと体の力を抜いた鏡哉に、高柳が続ける。
「あの子はこう言ったんです……『このままだと、私も鏡哉さんもダメになる』って」
「………」
混乱した思考の中で必死に考えてみる。
果たして自分はこれから美冬をどうしていただろうかと。
(愛していると甘く囁いて、見えない枷で拘束し、一時も自分の箱庭から離れることを許さなかった……)
彼女の望む大学に行かせることも、その先に望む職に就くことも――。
「社長、あの子は、未来を見ている。貴方との未来をちゃんと見ている。貴方が信じられなかった未来を」
(……私と、美冬の、未来――?)
高柳の口から笑みがこぼれる。
「強い子だと思いますよ」
「………」
知っている、彼女の強さ。
外見は大人しく引っ込み思案に見えるその内は、いつも愛情に溢れしっかりと夢を見据えていた。
「それなのに貴方は今、何をしているのですか?」
高柳の言葉が胸に突き刺さる。
(俺は今、何をしている――?)
その言葉を頭の中で反芻する。
自分の元から未来を見つめて飛び立った彼女を、未練たらたら追い掛け回し自分の責務も放棄している。
こんな恰好の悪い自分を見て、美冬は何を思うだろう。
高柳から視線を外しリビングを見ると、ローテーブルには数えきれない程の酒瓶が転がっていた。
(みっともない――)
自分の醜態に反吐が出る。
高柳が言うように、自分は未だに自分勝手なガキなのだ。
「俺は――」
長い闇を抜けて我に返った表情をした鏡哉に、高柳は少し苦しそうに口を挟んだ。
「社長、貴方は来週末からアメリカ支社長として渡米することになります」
「………」
あまりに突然の告白に、鏡哉は切れ長の瞳を見開く。
「業績の落ちているアメリカ支社を立て直すのに、少なくとも3年はかかるでしょう」
「なっ……」
絶句した鏡哉から腕を離した高柳が深く頭を下げる。
「どうか俺を……いえ、俺と取締役を信じて下さい。絶対に美冬ちゃんを守り抜きます」
「………」
高柳のつむじをぼんやりと眺めながら、鏡哉は心の中で葛藤する。
三年なんて長い間、国外に出るなど考えられなかった。
今でさえ美冬がどこにいるのか自分は知りもしないのに、そんなに遠距離になり耐えることが出来るのだろうか。
会社を辞めて国内にいればいつか美冬が見つかり、迎えに行けるのではないだろうか。
弱い心がまた自分の中を支配しだす。
「……俺は――」
迷いながらも口を開いた鏡哉に頭の中に、一節の言葉が入り込む。
(信じてください。
どうか、信じてください――)
美冬を、自分を、周りを。
「………」
鏡哉は開いた口をつぐみ、深く息を吐き出した。