13章-1
「――ちゃん、美冬ちゃん?」
耳元で、甘く囁かれる。
(だれ、私の名前を呼ぶのは……)
夢の中で、美冬は問いかける。
(もうちょっと待って、もうちょっと、眠らせて――)
美冬はそう祈りながら寝返りを打つ。
するととても美味しそうな香りが鼻孔をくすぐった。
くすりと優しく笑う、男性の声。
(愛おしい、鏡哉さんの声――)
美冬ははっとして目を覚ました。
重い瞼を上げると、目の間には美味しそうなスープの皿がある。
起き抜けのその状態に、美冬は瞳をぱちくりとさせた。
ぐ〜〜という自分の腹の虫が鳴る音。
「ふ、本当に食いしん坊だな、美冬ちゃんは」
上から降ってくる、鏡哉の楽しそうな声。
美冬はぼうとした思考のまま、体を起こそうとする。
しかし全身が痛くて体が言うことを効かなかった。
鏡哉に助け起こされ、上半身をベッドヘッドも凭れかける。
「鏡哉さん、私――」
「ほら食べて、カボチャのポタージュを作ったんだ」
美冬の言いかけたことを遮って、鏡哉はスプーンにすくったそれを差し出す。
「じ、自分で食べ――」
「私が食べさせたいんだ。お願い、食べて」
鏡哉が困ったような顔でそうお願いしてくる。
美冬は言われるがまま口を開く。
すると適度な温度のスープが口内に広がった。
カボチャと生クリームの滋味深い味。
「美味しい……」
そう呟いた美冬に、鏡哉が満面の笑みを零す。
(なんか、出会ったばかりの頃に戻ったみたい――)
心の中にふと暖かいものが灯る。
しかし、何か違和感が残る。
身じろぎをしようとして、美冬はやっと気づいた。
自分の両手がベルベットのリボンで括られている。
(これ……)
深紅の、美冬の白い肌に合うように作られた、毒々しい赤――。
そこでようやく美冬は自分の置かれている状況を把握した。
みるみる青ざめていく美冬に、鏡哉がスプーンを再度差し出す。
ふるふると首を振る美冬を見咎めた鏡哉は、美冬の顎を掴むと強引に口移しでスープを飲ませた。
嫌がっても何度も繰り返されるそれ。
最後のほうには美冬も疲れてしまい、ぐったりと鏡哉に体を預けてしまっていた。
小さな唇からこぼれてしまったその黄金色の液体を、鏡哉の舌がぺろりと舐めあげる。
その行為だけで美冬の体がピクリと反応する。
くすり。
半身を預けた鏡哉の体から、笑いが降ってくる。
「可愛がってあげたいんだけど、会社に行かなくてはならないんだ」
鏡哉はそう言って美冬をベッドの中に戻すと、立ち上がった。
その姿はいつものスーツに包まれている。
「私……帰ります」
美冬はまだぼうとしながらも、そう決心を口にする。
「駄目だよ」
それまで優しい顔をしていた鏡哉の顔が、美しい男の表情に変わる。
「この部屋には外から鍵を掛ける。私が戻ってくるまで、いい子にしているんだよ」
鏡哉はそう恐ろしいことをさらっと言い渡すと、美冬から遠ざかっていく。
「き、鏡哉さん! 待ってっ!! 鏡哉さんっ!!」
美冬はベッドの中から大声で叫んだが、鏡哉は振り返りもせず部屋から出て行ってしまった。
がちゃりと鍵をかける音が外から聞こえる。
信じられない美冬は、うまく動かない体に鞭を打ってベッドから這い出した。
よろよろとよろめきながらドアにたどり着くと、ドアノブを回す。
「………っ!」
それはびくりとも動かなかった。
信じられなかった。
あんなに優しい鏡哉が、自分をここに監禁しようとしているなんて。
「鏡哉さんっ! 鏡哉さんっ!!」
美冬はどんどんとドアをたたくが、もともとがしっかりした作りの重厚なドアはびくともしない。
足ががくがくと震え、床にへたり込んでしまう。
美冬は零れてくる涙をぬぐうことなく、鏡哉を呼び続けた。
(このままでは、あの人が辛くなる――鏡哉さんはこんなことする人じゃない!)
美冬の拳がだらりと下がる。
(私のせいだ。私がキスを強請(ねだ)ってしまったから――!)
あそこからすべてが狂い始めたのだ。
ただ、好きになっただけだった。
あの人を――鏡哉を好きになっただけだった。
それなのに、もう、
どうすればいいのか、分からない――。