4章-5
「おいしいです!」
美冬は思わずにっこりと満面の笑みを浮かべた。
するとそれを見ていた鏡哉の顔も嬉しそうにほころんだ。
「ふ、やっぱり美冬ちゃんは食べているときが、他の何をしている時よりも幸せそう」
「う……」
図星を刺され、美冬は唸る。
「出会った時から食いしん坊だったからね」
そう茶化した鏡哉に美冬は口をとがらせたが、もう先ほどのように「自分は家政婦なのに」というわだかまりは嘘のように消えていた。
その後のフォアグラも蝦夷鹿も、えも言われぬ美味だった。
(天国の、お父さん、お母さん。美冬だけこんなに美味しいものを食べてゴメンナサイ)
美冬がそう心の中で手を合わせていた時、
「あら、新堂さんもいらしていたのね?」
頭上から女性の声が響いてきた。
「伊集院さん」
鏡哉が持っていたグラスを置いて螺旋階段の上を見上げる。
伊集院と呼ばれた女性は、とても優雅なしぐさで螺旋階段を降り始めた。
美冬の先ほどの頼りない降り方とは比べものにもならなず、堂々としていた。
降りるたびに細い腰がしなり、プロポーションの良さが浮き彫りになる。
(わあ、大人の女性――)
美冬が食い入るように見ていると、鏡哉が立ち上がった。
「ご無沙汰しております。今日は上のサロンですか?」
「ええ、つまらない会合が入ってしまって」
階段を降り切る手前で、鏡哉が女性に手を差し出す。
伊集院は当たり前のようにその手を降り、階段を降り切った。
ずきん。
美冬のささやかな胸がなぜか痛む。
「あら、可愛らしいお嬢さん」
伊集院と目があい、美冬は慌てて椅子から立つ。
鏡哉は伊集院の手を引いたまま、美冬の前まで来た。
「初めまして、伊集院麗華です」
優雅にそう言った彼女は美冬に先を促す。
「あ、鈴木美冬と言います。初めまして」
ぺこりとお辞儀をした美冬に、伊集院はニコリと笑ってみせると、隣の鏡哉の腕に自分のそれを絡み合わせた。
「だから私がいくらお誘いしてもお受けいただけないのね。つれない方だわ」
伊集院はそう言って鏡哉に少ししなだれかかる。
視線は美冬にちらりと注がれ、その中には女の嫉妬が見え隠れしていた。
(や、やだ……鏡哉さんに、触らないで――)
「申し訳ありません、伊集院さん」
鏡哉は腕を解きもせず、やんわりと謝ると、伊集院をエスコートして階段に戻ろうと美冬に背を向ける。
(やだ、行っちゃやだ――!)
「美冬ちゃん?」
うつむいた美冬に、上から鏡哉の声が降ってくる。
(え……?)
美冬に背を向けていたはずの鏡哉が、こちらを不思議そうに見つめている。
美冬は無意識に鏡哉のスーツの裾を握りしめていたのだ。
「ご、ごめんなさい」
美冬は小さな声でそう謝ると、椅子に座った。
「すぐ戻るから」
あいているほうの手で美冬の頭をくしゃりと撫でると、鏡哉はそのまま階段を上がって行ってしまった。
(なにやってるの、私ったら……きっとあの女性は、鏡哉さんの仕事関係の人なのに、きっと変な印象を持たれてしまった――)
その後、数分で鏡哉はテーブルに戻ってきたが、美冬は自己嫌悪で俯いてばかりで、最後に出された小菓子をつまむ気にもなれなかった。
そんな態度の悪い美冬に愛想を尽かしたのか、向かいの席から小さな溜息が聞こえ、美冬はおびえたように小さく震えた。
鏡哉が頼んだらしい代行が車を持ってきてくれ、数十分もしないうちに二人はマンションに戻ってきていた。
美冬はまだ落ち込んでいたが、家政婦の仕事をしないわけにはいかない。
いつも通り鏡哉のジャケットを脱がせると、ブラッシングして、クローゼットへと直す。
「美冬ちゃん、こっちおいで」
シャツとネクタイになった鏡哉が、リビングのソファーに座りながら、美冬に手招きする。
(怒られる、のかな……)
しかしどう考えても悪い態度をとったのは自分だ。
美冬は決心して鏡哉の目に前に歩み寄り、立ち止まった。
鏡哉は真っ直ぐ美冬を見つめてくるが、美冬は目を伏せた。
「すみません……」
「うん」
「伊集院様に対して、好ましくない態度を取ってしまいした」
「うん」
「………申し訳――」
「どうして?」
「え?」
再度謝ろうと腰を折ろうとした美冬に、鏡哉が口をはさむ。
「どうして、あんな態度を取ったの?」
「………っ」
そう問い詰められ、美冬は言葉に詰まる。
(言える訳……ない。鏡哉さんにべたべた触るあの人が、嫌だったなんて――)
「許して、下さい……」
美冬は深くお辞儀をして許しを請う。