4章-2
「はい、ジャケットちょうだい」
ジャケットを着せ付けて前のボタンを留め終え、ほっと息を吐いた美冬とは対照的に、鏡哉は大きくため息をついた。
「ああ、行きたくない。美冬ちゃんと一緒にいたい」
ぼそりとこぼされた呟きに、美冬の頬も緩む。
確かにちょっと気の毒だった。
――と隙を見せたのが悪かった。
美冬は気が付くとクローゼットの奥に追い詰められていた。
「な、何ですか、鏡哉さん」
「美冬ちゃんからキスしてくれたら、仕事行ってくる」
「はあ?」
追加の我儘に、美冬は間抜けな声を上げる。
その時、
「社長! いい加減出てきてくれないと、遅刻しますよ〜」
クローゼットの外から高柳が声をかけてきた。
「ほら、遅刻するでしょ。早く」
「ええ!?」
(どういう思考回路してるんですか?)
「ほっぺでいいから」
鏡哉は壁に追い詰めた美冬を拘束するように両腕で壁との間に通せんぼをして、腰を折ってくる。
「む、無理!!」
「無理じゃない」
甘く掠れた声が徐々に近くなってくる。
うつむいてしまった美冬の髪に、チュッチュッとキスを落とされる。
(も、もう無理〜〜っ!!)
美冬は顔を上げずにそのまま鏡哉の胸に飛び込んだ。
背伸びをして震える腕を鏡哉の背中に恐る恐る回す。
「こ、これで勘弁してくださいっ!!」
当たり前だが美冬から鏡哉に抱き着いたのはこれが初めてだ。
胸が張り裂けそうなほど鼓動が早まり、顔から火が出そうなほど真っ赤になっているのがわかる。
(お、お願い!)
ふっと頭上から笑い声が降ってくる。
「ほんと、美冬ちゃんは優しくて可愛い」
鏡哉は壁についていた腕を離すと、壊れ物を扱うようにそっと美冬を抱き上げた。
お尻の下に腕を回され持ち上げられたので、目線が鏡哉と同じになる。
「き、鏡哉さんっ?」
息が唇に掛るくらい近い。
おでこをこつんと当てられ、視線を合わされる。
「じゃあ、しょうがないから行ってくる。お土産に寿司折り持って帰ってくるから、いい子で待っているんだよ」
鏡哉はまるで小さい子に言い聞かせるようにそう言うと、美冬の頬に軽くキスを落とした。
そして美冬を下すと、高柳を連れて嵐のように去って行った。
美冬はというとあまりの恥ずかしさにその場に突っ伏して数十分もそこから動けなかったのだが、それは鏡哉の知るところではない。
(……私はなぜ、こんなところにいるのだろう?)
美冬はフォークとナイフを握りながら、自分の今置かれた状況に内心首をひねる。
3時間前。
学校が終わっていつものように真っ直ぐマンションへと戻ろうとした美冬の前に、鏡哉のベンツが行き先をふさぐように止まった。
「乗って、美冬ちゃん」
少し急いだ感じにそう言われ、美冬は条件反射で急いで助手席に乗り込んだ。
車はすぐに発進する。
「どうしたんですか、鏡哉さん?」
「ちょっと付き合ってほしいところがあるんだ、いい?」
「はあ、大丈夫ですが」
特に理由を説明されずにつれて行かれた場所は、六本木ヒルズだった。
駐車場に車を止めるとすぐさま手を引かれ、一軒のブティックの前に立つ。
「服、買われるんですか?」
「うん」
ドアマンに開けられ中に入ると、シックな黒いスーツに身を包んだ女性店員達の視線が、一気に自分達に集まる。
そりゃあそうだろう。
六本木の一等地に立ち、ファッションに疎い美冬でも知っている世界的に有名なブランド店に、モデルのように完璧な鏡哉と、どっからどう見ても中学生にしか見えないセーラー服姿の美冬が入ってきたのだ。
関係を詮索しないほうがおかしいというものだ。
あまりにも自分にそぐわない場所に気後れして、美冬はとっさに下を向いてしまう。
しかし鏡哉は気にすることなく店員に声をかけると、美冬の手を引いてどんどん奥へと入っていく。