叔父・水越四郎B-1
汚れ(けがれ)を知らない乙女もやがては男の精にまみれる。哀しいことだ。
三原レイは今ごろ、男のイチモツを口に含んでいるのでは? いや、そんなことはないだろう。清楚なレイがそんなことをする筈がない。四郎はネクタイを緩めて、バーボンソーダを喉に流し込んだ。
「四郎さん、今日はピッチ上がってますね」
カウンターの向こうにいる三原美智子は微笑んだ。思わず心が引き込まれる笑顔。
「うん。なんというか、飲みたい心境なんだ」
「失恋でもしました?」
男ごころをくすぐる、美智子の言葉の響き。
「失恋……それに近いかな……」
「おや、まあ、聞き捨てならないですね」
「秘密、秘密。今は言えない」
「お酒まわってきたら、教えてください」
「そうだな……。美智子さん、オイルサーディン温めて」
「はい」
姉妹といえども、生きてきた世界が異なると、違うもんだなと思った。美智子の妹、亜希子は世界的に有名な女性下着メーカー「マリー」の子会社「ピーチツリー」でデザインを担当してきた。今もピーチツリーにいる。
四郎が亜希子と知りあったのは、四郎が三十歳のときだった。男慣れしていない七つ下の亜希子に惹かれた。亜希子は固い蕾のようだった。姉の美智子はそのとき二十七歳。銀座のナイトクラブという華やかな世界にいた。
(美智子さんは今もなお、妖艶さを失っていないというのに……うちの亜希子ときたら……)
美智子は、イワシの油漬けの缶詰めの蓋を九割開けて、網の上に置いた。
空になったグラスに、アイスペールから氷を挟んで落とし、腕時計をチラッと見た。午後7時半。9時までは飲めるかなと思った。早い時間帯はカラオケで歌う、煩わしいお客もいないし、何より、美智子ママやバイトの圭都(けいと)ちゃんとのお喋りが楽しい。
このスナック「ミチコ」からカラオケがなくなれば長居ができる。しかし、雑然とした中野南口の飲み屋街の雰囲気からいえば、静かなバーよりもスナックの方が受けがいいに決まっている。
とにかく、酔っ払ったクソオヤジが横に座るシチュエーションは御免だ。勘弁してほしい。
美智子は、温めたオイルサーディンを皿に盛り付けて、レモンとオニオンスライスを添えていた。ひと月前、ここに来たとき、美智子の額は髪の毛で隠されていたが、今夜は、髪を上げて額を見せていた。艶やかだ。
「お待ちどうさま」
「美智子さん、額が綺麗だなあ」
「額だけですか?」
「いや、どこもかしこも綺麗だ」
「まあ、上手いこと言って。どこもかしこも見てないじゃない」
「今度、見せてもらおうかな」
「だめよ〜」
馬鹿なやりとりをしていたら、アルバイトの井上圭都がやってきた。ショートカットの髪に小さい顔。小花模様の白いカーディガンも眩しい。
「あっ、四郎さん、こんばんは」
「こんばんは。圭都ちゃんに会いたかった。よかった……」
「ありがとうございます」