ハードル-6
「前を失礼しますね。夫が居ると話もできないから、2階に上がって貰うわね」
知津子が先に進み、居間を通り抜けると、その先にある階段を上がった。
知津子は階段から1つ目の部屋の前に立った。扉には【TOMOKOの部屋】のプレートが掛かっていた。
「ここって…」
千尋が戸惑いの声を出した。
千尋の反応に知津子は小さく頷くと、扉を開けてオレ達を中に導いた。
そこにはかつて、知子が寝ていたベッド、知子が勉強していた机、知子が読んでいた本、知子が飾っていたぬいぐるみが、当時のままの姿で残されていた。話が決裂し、知子の必要な荷物を運び出すのを手伝うために、かつて1度だけ入った部屋だ。
16年以上、時の止まった部屋の様子に、オレも千尋も立ち竦んでしまった。
「取り合えず、適当に掛けてちょうだい。ここに来てもらったのは、千尋ちゃんに見せたいものが有るからなのよ」
促せられるまま、知子のベットに腰を掛けた。
知津子はオレ達の戸惑いを気にする風もなく、知子の机の上に置いていたポケットアルバムに手を伸ばした。
「夫が入って来ないから、いつもここに置いてるのよ」
そう言いながら、知津子は手にしたポケットアルバムを千尋に差し出した。
「これは?」
受け取るのを躊躇った千尋が聞いた。
「いいから、見てみなさい」
知津子は無理矢理千尋に押し付けた。戸惑いつつ受け取った千尋が伺うようにオレを見たので、オレはこっくりと頷いた。
気を取り直した千尋が最初のページを開けた途端、驚いたような声を上げた。
「えっ?えっ?」
千尋は慌てたように次々とページを繰り、何度も驚きの声を繰り返した。
「お、おばあちゃん、これって…」
ざっと目を通した千尋が、震える声で祖母に声を掛けた。
「そうよ、あなたよ。ここに写ってるのは千尋ちゃん、全部あなたなのよ」
知津子が言ったように、千尋の手の中のアルバムには、妊娠中のお腹の張った若い知子の写真に始まり、生まれたばかりの千尋、ハイハイしだした頃の千尋、捕まり立ちの千尋、水遊びをする千尋、花火をする千尋、そして、入園式、運動会、遠足、演奏会、卒園式、さらに小学校の入学式から中学校の卒業式までの各種行事の千尋の姿が写されていた。
そして、一番の最後の写真が、この春に写したばかりの高校の入学式の時の千尋だった。
「どうして…」
どうしてこれがここに有るのか?答えは1つだった。
慎吾…お前…。
凝視していた高校の制服姿ではにかむ千尋の写真の中の笑顔が、途端に滲みだした。
「あなたのお父さんが届けてくれていたのよ」
「うそ…」
「うそじゃないのよ。慎吾さんはあなたの成長の姿を私に届けに来てくれていた。何度も何度も。で、でもね…」
感極まった知津子の言葉は詰まり、後はすすり泣きに代わった。
そう、千尋の祖父はそれでも慎吾を赦さなかったのだ。
慎吾の愛情の深さ、それを受け止め続けた知津子の優しさに触れた千尋もまた、祖母と同じく感極まっていた。
「おばあちゃ〜ん、うわ〜ん」
千尋は知津子に抱き付いて号泣し、そんな千尋を知津子もしっかりと抱き締めて泣いた。
「ううっ…は、初めて…初めて孫が…抱けた…ううっ…初めて…孫が…」
知津子は、噛み締めるように何度も何度もその言葉を繰り返した。
オレはそんな2人の姿を目に焼き付けようと、滲む焦点を合わすように何度も瞬きを繰り返しながら見守っていた。
2人は落ち着くと、時折泣きじゃっくりを繰り返しながら、話し合っていた。主に知津子が写真を見ながら千尋の16年間を質問をし、それに千尋が答える格好だ。千尋が答えられない内容はオレが補足した。
想像もしなかった邂逅で、祖母と孫の距離は急速に縮まった。
あっという間に時間が過ぎた。これ以上はさすがに迷惑に成ると判断したオレは暇を告げた。
「また、来て下さいね」
知津子がオレの手をしっかりと掴んで頼んできた。
「もちろんです」
「でも不思議ね。いつもは知らない人のインターフォンには出ないのにね」
「どうして出ていただけたのですか?」
「知子がインターフォンを押して帰ってくる夢を見たの。だから何だか気になっちゃって。半分正夢ね」
「ははは、まさか」
オレはその偶然を笑った。
まだ、越えなければならないハードルが残っていた。そのためには毎日でも足を運ぶつもりだ。