波乱の高円寺-5
「真帆は気楽な文芸部だからいいけど、山川君は部活休んだの?」
「周平、肩を痛めていてね。年明けには回復する見込み」
「そうなんだ……」
「レイこそ、新体操倶楽部、どうしたの?」
「秋季大会も終わったし……今日は諸事情で休みにしてもらった」
「諸事情でね……」
真帆は頬を緩めて意味ありげに微笑む。
「あっ、言っとくけど、周平とはなんでもないからね。相談に乗っていただけだから」
「そう……。そういうことは訊いたりしないから」
「私、今日、ときめいているんだ」
「えっ?」
(真帆はこれからデート?)
「教えてあげるけど、秘密にして」
「無理しないでも……」
真帆はレイの耳元にくちびるを近づけた。紀夫は苦い顔になった。奔放な元・教え子に呆れているのだろうか。
「私、これから、新宿で、早瀬先生とデートするんだ」
早瀬徹(とおる)。荻窪東高校の歴史学教師。顎ひげボーボー。早瀬久美子の夫。
耳元で囁かれた事実は衝撃的なものだった。
「そう……それは、頑張って」
「じゃあね」
真帆は左手を上げて軽妙に振った。レジに向かう後ろ姿から夜への期待が滲んでいるように見えた。
レイの心の動きとリンクしているからだろうか。
「渡部さん、私、夕食を作らないといけないので、これで……」
「いや、レイちゃんのお母さん、夕方から仕事でしょう?」
「はい……」
「ひとりでご飯は淋しいよ。うちで一緒に食べよう」
渡部は優しかったが、今、彼の横の席に置いてあるショートケーキを一緒に食べるのは嫌だった。ケーキを食すれば、早瀬久美子の想いを認めることになってしまう。
「今日は帰りたいんです。ごめんなさい……」
「そうか……。わかった。レイちゃん、また近々会おう」
「はい……」
「レイちゃんのこと、ほんとうに好きだから……。信じて」
「渡部さん」
「はい?」
「そんな辛そうな顔しないでください。私も渡部さん大好きです」
喫茶ルノアールの前で紀夫と手を振り合って、別れた。また会えるのだろうか? 北風は冷たく、頬が痛い。レイは歩みを速めて、高円寺の駅に入った。