波乱の高円寺-3
高円寺駅北口の喫茶ルノアールは、お客さんはかなり入っていたが、広々としていて、落ち着ける雰囲気の店だった。ファーストフードの店では感じられない気品が漂っていた。
「中野のルノアールより、落ち着ける。観葉植物の置き方がいいよな」
「そうですか……。私、ルノアール入ったのは初めてなので……」
紀夫の声は弾んでいた。レイの気持ちを察しているからだろうか? 意識的に明るく振る舞っているように感じた。紀夫はブレンド、レイはカフェオレをオーダーした。近くの席で語り合っている男女の声がかすかに聞こえてきた。女性の声には聞き覚えがあった。
(声が似ているだけかもしれない……)
「渡部さん……」
「はい?」
「言いにくいことですが……」
「なに? 遠慮せずに言ってみて」
「はい……。さっき、嘘をついたのはどうして……」
「嘘……?」
「私と偶然会って、部屋に招いたって……」
「ああ、早瀬さんに言ったことか……。つまり、恥ずかしかったんだ」
「私と会っていることは、恥ずかしいこと?」
「いや、そういう意味じゃない」
紀夫は胸の前で手を振った。さきほどの言葉を打ち消すように――。
沈黙の時が流れる。紀夫は何を考えているのか。
「嫉妬深い人なんだよ……」
「えっ? 誰が?」
「早瀬久美子さん……。だからああいうふうに言わざるを得なかった」
紀夫は眉根を寄せた。苦悩しているのだろうか。
「早瀬先生、結婚してましたよね?」
「うん……。確か、二十五で結婚して六年目くらいかな。旦那さんも教師だと聞いている」
「知ってます。うちの高校で世界史や日本史を教えている方です」
「そうか……。彼女の気持ちが旦那に向いてくれるといいのだが……」
(早瀬先生に言い寄られているのだろうか)
ブレンドとカフェオレが運ばれてきた。ルノアールで楽しい時間を過ごすつもりだったのに……。自分の大人げなさを責めたかった。
「関西ではコーヒーを飲みに行くことを『ちゃーしばきにいく』と言うらしい」
紀夫はふいに話題を変えてきた。
「ちゃーしばきにいく……。言葉って面白い」
レイはつとめて、明るく返した。
紀夫はコーヒーを一口飲んでから高校野球について話し始めた。レイの荻窪東は昨年、西東京大会を制して、夏の甲子園に初出場している。紀夫は西東京大会決勝の逆転劇について語ってくれた。早瀬久美子の話題から離れることができてよかった。レイは、ほっと胸をなで下ろした。