報われない一日-6
関係者が話している中に首を突っ込んだらしい。いや、突っ込んだ。
「あたし、ここの知り合いなんですけど……」
妻と消防、警察がいるところに割って入ったのだという。
むろん、そこにいるのが妻とは知らず、思わず加わってしまったのだろう。それは、僕のことが気になって……。
それにしても……、
(馬鹿なことを)
妻は察しただろう。
関係を訊かれ、仕事の事だと濁したようだが、身なりを見ればどういう『関係』かわかるはずだ。あの女はいかにも、という派手な服装をしてくる。だからいつも暗くなってから呼んでいるんだ。
「なんで行ったんだ」
「だって……」
何を言ってもいまさらどうしようもない。
「もういい。あとで電話する。待ってるんだぞ」
「どうした?家のことか?」
姫岡の気遣う表情に僕は笑いかけた。
「いや、たいしたことじゃない。それより、まあまあの出来だったかい?」
テーブルの端に置かれた原稿に、僕は視線を向けて言った。
「まあまあどころじゃない。当分他に追随する作家は出ないだろうな」
「おい、言い過ぎだ」
「いや、ほんとさ」
「ありがとう。推敲したいところもあるんだが、時間はあるかな」
「2日くらい何とか」
姫岡は原稿をぺらぺらめくりながら、
「原稿料……1枚2万だったっけ?」
「ふん。そうかな」
「これが200枚ちょっとで400万。月に5,6本抱えてるから、相当だな」
「なんだよ。税務署か」
「いや……」
俯いた姫岡の目だけが僕を見上げる。
僕は厭な予感に包まれてきた。僕の頭の中には何だか得体の知れない重い膜がびっしり張り巡らされているみたいだ。
(もう、ぐったりなんだ)
だからお願いだ。もう僕を疲れさせないでほしい。今、僕の考えられることは、とてもいやな一日だった。それだけだ。それだけで十分だろう。それなのに、今、僕は姫岡の口から洩れた言葉をゆっくり心に納めていた。
「相談があるんだ……とても、言いにくいことなんだが……」
それは虚しく、遠い響きの言葉だった。
僕はウエイトレスに手をあげた。
「酒はあるか?なければコーヒーの濃いやつをくれ」
ずしりと重いものが腹のあたりに生まれていた。
食欲がない。酒も飲みたくなかった。
姫岡の顔を見ずに煙草をつけ、奈津子に会う気がなくなっていることに気づいた。