3章-2
「家政婦にチューする雇い主がどこにいますか?」
美冬のその抗議に、鏡哉は自分を指さす。
「って言うか、なんでチューするんですか?」
美冬が恥ずかしそうに涙目でそう訴えると、鏡哉は無表情で口を開く。
「所有のしるし?」
(しょ、所有のしるしって、子犬の首輪じゃないんだから――)
「わ、私、子犬じゃありませんから! さっさと食べちゃってください」
二人はそんなことを言い合いながら朝食を済ます。
鏡哉に弁当を持たせ、広い玄関まで見送りに行くと鏡哉が振り向いた。
「いってらっしゃいのキスでもしてくれるの?」
意地悪そうな笑みを口元に浮かべ、鏡哉が小さな美冬を覗き込む。
「し・ま・せ・ん! もう、行ってらっしゃい!」
「ふ、行ってきます」
鏡哉はそう言うと、楽しそうに部屋を出て行った。
一人になった部屋で美冬は大きなため息をつく。
(はあ、いつまで続くんだろ、このキス攻撃は……)
一緒に生活していた一年間、鏡哉は美冬をからかって楽しんでいた。
今回も鏡哉がキスに飽きるまで我慢するしかないだろう。
しかし、
(鏡哉さん、表情豊かになったな)
初対面の頃、鏡哉はほとんど感情を表に出さない人だった。
それが一緒に暮らし始めると少しずつ美冬に心を開いてくれたのか、よく笑うようになった。
(ま、飽きるまでなら、まあいっか……)
美冬はそう諦めると、自分も学校へ行くための用意をし始めた。
「社長、今日はご機嫌がよろしいですね」
社長室に入ってきたと思ったとたん、秘書の高柳は開口一番でそういった。
「はあ?」
鏡哉は無表情で聞き返す。
美冬と一緒にいるときは表情が緩むが、外へ一歩出ると鏡哉の鉄面皮はそのままだった。
「なんかいいことでもありましたか?」
鏡哉はいつも通り日ふるまっているつもりだったが、三年も一緒にいる高柳には鏡哉の機嫌が分かるらしい。
「別に」
「まあ、どうせ美冬ちゃんのことでしょうけれどね」
「ふん」
「この前久しぶりに会いましたけど、可愛くなりましたよね。あれじゃあ学校でモテるでしょう」
「……確かに、告白はされるといっていたが」
「ほお、じゃあ彼氏ができたら社長も複雑ですね」
「ふん、彼氏なんか作るはずがない」
「どうしてですか?」
「作らないよう命令したからだ」
当たり前のようにそう返した鏡哉に、高柳は呆れ返る。
「社長、いくら雇用主だからと言って、それはなんでも横暴なのではありませんか?」
「どうしてだ? 美冬は私のものなのに」
「………」
いや、単なる家政婦だろうが――と高柳は心の中で思ったが言わないことにした。
「ま、異性との付き合いなんてダメだと言われたら余計興味がでちゃうものですからね。美冬ちゃんも年頃だし、社長。うかうかしていたらどこの馬の骨ともわからない子供にもっていかれるかもしれませんよ」
「……お前、減俸にされたいのか?」
「まさか」
高柳は鏡哉の脅しにびくともせずニコリと笑って見せる。
一方の鏡哉は高柳のその忠告に嫌な予感がし始めた。
「高柳! 今日は超特急で仕事を終わらせるぞ」
「かしこまりました。すぐご用意いたします」
そう言って畏まって社長室から出た高柳は、にやりと楽しそうにほくそ笑んだ。
キーンコーンカーンコーン。
就業のチャイムが鳴り、昇降口からは一斉に学生たちがはき出されてくる。
鏡哉は校門に車を止めると、車内から美冬が出てこないかとメガネを掛け直して目を凝らした。
美冬は小さいから見落としてしまうかもしれないと気を付けていたが、すぐに昇降口を出てくるところを見つけられた。
車のドアを開け外に出る。
こちらに歩いてくる美冬に声をかけようと口を開いた時――。
「鈴木さん、一緒に帰っちゃ駄目かな?」
横から美冬に声を掛けた男子生徒が目に入った。
声を掛けられた美冬は遠目にもわかる程大きな瞳を見開いていた。
「え……倉木先輩……あの?」
明らかに美冬は困惑しているように見えた。
「いいじゃん、一緒に帰るくらい、行こう」
そういった倉木という生徒は美冬の腕を取り、鏡哉の待っている方向へ歩き出した。
「は、はあ……」
美冬はその手を振りほどくこともなく仕方ないという感じでついていく。
(何やってるんだ、あいつは――)
鏡哉はいらっとして二人に近づいた。
周りの生徒たちが鏡哉を見ていたが、一向に気にならなかった。
「美冬」
「鏡哉さんっ!?」
いきなり目の前に現れた鏡哉に、美冬はびっくりした顔で相対する。