1章-6
鏡哉はそう言い募る自分が信じられなかった。
他人に対して興味を抱かず、いつも一線を引いて相手と付き合っていた自分が、こんなにも他人に対して感情を揺さぶられている。
「……えっと、新堂さん?」
美冬は睨みつけるように見つめてくる鏡哉に首を傾げて見せる。
「……すまない、怒鳴ったりして」
ぽかんとした表情の美冬は小さくかぶりを振る。
(何しているんだ私は――彼女にとって自分はただの他人なのに)
『他人』という言葉が予想以上に辛く感じる。
すっと視線を逸らして座りなおした鏡哉に、目の前の美冬は微笑んだ。
「……優しいんですね、新堂さんは――」
「うざいか――?」
純情そうな中学生に見えるが、美冬もれっきとした女子高生だ。
他人の男にそんな風に怒鳴られて、きっとそう思っているに違いない。
「うざい? とんでもないです。ふふ、うれしくって――」
「嬉しい?」
「はい。私、周りの人に怒られたり注意されたりすると、嬉しくなって惚けちゃうんです。『ああ、この人、私のためを思って怒ってくれているんだなあ』って!」
美冬はそういうとなおさら嬉しそうに微笑む。
その笑顔につられて、鏡哉も頬のこわばりを解く。
「まったく……君は不思議な子だな」
「そうですか?」
「ああ」
鏡哉はそう言うと、鉄剤の瓶から数錠取り出し美冬に飲ませた。
白い喉がこくりと錠剤を嚥下する。
その時、鏡哉は胸を突き動かされた。
(駄目だ、この子を、美冬を離したくない――)
何故だか分からない。
こんな年端もいかない子供を、この部屋から世間の荒波へ放り出したくなかった。
今離れたら二度と会えない、そんなわけないと思うのだが、ただ強くそんな気がした。
「……くさい」
「へ?」
「美冬ちゃん、君ちょっと匂うよ」
鏡哉は立ち上がって真面目な顔でそう言う。
いきなりの話の展開に付いていけていない美冬だったが、やがてくんくんと自分の制服を匂いだす。
「え〜、そうですかね? すみません、今すぐ帰りますから!」
美冬は焦って立ち上がろうとするが、鏡哉は大きなテーブルを回り込んで美冬の傍へ寄ると、美冬をさっと抱き上げた。
「え? えっ? 新堂さん?」
急に横抱きに持ち上げられた美冬は、目を白黒させて鏡哉に呼びかける。
「風呂沸かしてあるから入りなさい。ちゃんと洗うまで出てきちゃだめだ、分かった?」
鏡哉は有無を言わさぬ口調でそう言いながら広い部屋を横切り、バスルームへと入った。
中は広い洗面室、ガラス張りのシャワールームと、外がみられる窓のあるジャグジーがあった。
美冬はまた贅沢な作りのバスルームに口をぽかんとあけている。
鏡哉は美冬を洗面室の椅子に腰かけさせると、てきぱきとタオルを用意しだす。
「あ、あのう……」
「着替えはとりあえずこのバスローブ着て。じゃあ」
そう言い残して鏡哉はさっさとバスルームを出てってしまった。
「くさい……かなあ?」
一人取り残された美冬は自分の背中まである長い髪を一房つまんで匂う。
まだシャンプーの香りが残っている。
(でも今からお弁当屋さんにバイトなんだもんね、衛生的じゃなきゃダメか)
そう思い至って、美冬は大人しく鏡哉の指示に従うことにした。
手早くシャワーで体を流し、湯をたたえた丸いジャグジーに恐る恐る足を入れる。
手近にあるボタンに触れてみると、ぼこぼこと横から泡が出てきた。
「ひゃ〜っ!! わあ、ジャグジーだぁ……」
強い泡が長時間寝て凝り固まった体に気持ちいい。
あまりの気持ちよさにヨダレを垂らして眠りそうになり、美冬はパンパンと両手で自分の頬を叩いた。
「しかし――」
(新堂さんってなんて親切なんだろう。見ず知らずの小娘に寝る場所と食事を提供して世話をしてくれて――)
こんな立派なところに住んでいる人だ、きっとどこかの会社のお偉いさんなのだろうが、鏡哉の見た目はどう見ても25歳くらいだ。
(ここのところ本当にバイトきつかったけど、新堂さんみたいな親切な人がいるんだから、私も頑張らないと!)
美冬は浴槽の中で握り拳を作ると、シャワールームで髪と体を洗い用意された大きなバスローブを着てバスルームを後にした。
「あ、あがった? ちゃんと温まった?」
バスルームからひょこっと顔を出してこちらを伺っている美冬に、鏡哉はリビングのソファーから立ち上がった。
「えっと、ずうずうしくお風呂までお借りしてすみません」
ぺこりとお辞儀をする美冬の髪を触ると濡れたままだった。