森田-1
子供の頃は、言いたいことが言えていた。友達がすぐにできた。強い奴から圧迫され、弱い奴は圧迫した。怒鳴る大人や喧嘩した相手とも、しばらくすれば普通に話した。心の底では例えそれが今まで響いているとしてもだ。
女は、おかしな生き物だった。弱くて、口ばかり達者な、すぐに泣く劣った人間だと思われた。だから、明らかに自分より運動のよくできる女が生意気で堪らなく感じた。もっとも、頭のできの方はほとんど気にしていなかった。近所で中国人が開いていた空手のような道場に好きで通った。強くなりたかった。
動物の世界はきっとそんなものだろう。男の子供は動物に似ていた。
大人になった辺りから、言いたいことは大概言えなくなった。同僚はいても、友人はいなくなった。つぎつぎ起こった面倒なことから、喧嘩もしなくなったし、強くなることも諦めた。今では、怒りもしなければ、楽しいことも滅多にない。女はますます訳の分からない者になっている。それがあまりに不可解だから、距離を置いてしか相手しない。女の体が堪らなく欲しくなることがあるけれど、一緒になるのはそのいっときで充分だ。
代わりに、子供の女が輝いて見えて仕方なくなった。これに気付いたのは高校生の頃だった。かつては劣って見えたいろいろな特徴が、自分の存在にとって必要不可欠なものとして、痛みの感覚さえ伴って渇望された。
道を歩いていても、女の子供とすれ違えば、今その服の下がどうなっているか想像する。これは高校生でも同じだ。高校生の顔の美しさは、しかし、その両脚の間の、あまりに懸け離れたものの姿を強調する。美しく、優しい女であればそれだけ、隠れたその場所が小暗く浮かび上がる。
そんな森田は女を抱く時、心に近づけないからか、体を観察して実験することが好きだった。どこをどうすればどれだけ感じて、この部分がどうなっているのか、興奮しつつも冷たい目でいつも試した。誰に対しても、森田は試した。本気になれない動物的な行為への、それは森田流の「文化的色付け」であり、人間的な営みのつもりだった。森田と関係した女で、下腹の奥に息を吹き込まれなかった者はいなかったし、酔って用を足したくなった森田を受け入れぬ女の尻もなかった。森田が終わるのは、女の喉深くか、全うな所と決まっていた。避妊具など着けたことがない。経産婦はいくら若くても、かたちを見て分かった。森田は体格よく、整った顔立ちだったから、言い寄ってくる女はたくさんいた。それでもそんなことは何の自信にも繋がらなかった。