マスター-1
【マスター】
雄一が高校2年生の時の事、雄一の在籍する高校が武道の全国大会に出場する事になった。雄一は個人戦、団体戦共に出場の機会を得ていた。
試合当日、悠子、陽子、そして星司の3人は、試合会場に差し入れを持って激励に来ていた。
「雄一、無理しないでね」
「雄ちゃんなら大丈夫よ。気合いだ気合い!」
「緊張もないし、大丈夫そうだな」
「応援サンキュー。まあ、オレの実力なら無理しないでも大丈夫だろ」
「まあ、雄一が負けるとしたら、その慢心が原因になるだろう」
「アニキの予言は要らね〜」
星司に言い返した雄一の背は、180cmの星司を抜いていた。小学生の頃は星司を突っぱね続けた雄一だったが、星司の気遣いに触れたり、姉の楽しそうな顔を見ている内に、雄一の心の中は徐々に変化していった。そしてこの頃には星司の事を『アニキ』と呼ぶまでに打ち解けていた。
雄一は差し入れを受け取ると、出場する仲間に向かって声を掛けた。
「おい、姉ちゃんから差し入れだ」
「アザース!!!」
雄一の影響なのか、声を揃える仲間達にも変な緊張感は無く、差し入れを受け取りに来た時には、遠慮のない視線を、目の前の2人の女に向けていた。
「どっちが手島の姉ちゃんだ?」
雄一が折に触れて口にしていた『姉ちゃん』の事が、仲間達は気になって仕方がなかった。
「こっちが姉ちゃん、こっちが姉ちゃんの友達の陽子さん」
「2人共美人だなぁ。お姉さん、ボクと付き合って下さい」
「お前バカか!」
仲間が突然突拍子もない事を言い出したので、雄一は慌てた。そんな雄一を面白がって、他の者も続いた。
「じゃあ、オレは陽子さんでお願いします」
「お前ら抜け駆けするなよ、オレも手島のお姉さんがいい」
「じゃあ、オレはどっちかで!」
物怖じを知らないこの年代、何でも前向きで明るい。冗談が半分に、あわよくばとの思いが半分。言われた当の悠子は困った顔をし、陽子は面白そうににやついた。
「お前らいい加減にしないと、この姉ちゃんの彼氏が黙ってないぞ。優男に見えるけど、つえ〜んだぞ」
雄一が星司に向かって親指を立てて指した。
「えっ!この人彼氏?そんに強いのか?」
美人のお姉さんに彼氏が居る事にガックリときたが、それよりも、どう見ても強そうに見えない星司が、強いと聞いても信じられなかった。
「ああ、オレは1度も勝った事がねえ」
「マジか、信じらんねぇ…」
この年代は、まず相手の外観、雰囲気から値踏みする。腕力に自信を持った者達は、その傾向はより強かった。
「ウソだと思ったら、相手してもらえよ。宮本の蹴りなんて、全く通用しねーから」
雄一が面白そうに仲間の宮本をけし掛けた。
「おいおい、うそだろ」
宮本は雄一に次ぐ実力者だ。当然雄一の言葉を冗談だと受け取った。
「うそなもんか。まあ、宮本のヘナチョコ蹴りのレベルじゃ相手にしてくれないかもな」
「なんだと!」
得意の蹴り技を、ヘナチョコと言われた宮本は瞬時で目つきが座った。
「おい雄一、バカな事言うな。君も本気にしないように」
星司は困ったような表情を浮かべ、両手を開いて制する姿勢をとったが、深く物事を考えない年代には却ってそれが逆効果になった。
「そんな事言わずに相手して下さいよ。彼氏さん」
宮本は顰めた顔をニヤリと歪ませて、雄一の挑発に乗った。それよりも、美人のお姉さんの前で、優男に恥を掻かせてやろうと言う気持ちの方が大きかった。その宮本の心の動きは、星司は手に取るようにわかった。
(雄一め)
星司は雄一を睨んだが、その雄一は悪戯っ子の様に舌をベロリと出して応えた。
「宮本くん、試合前だろ。やめとけ」
星司も既にそんな事で止まらないとわかっていたが、一応宮本に声を掛けて制した。しかし、案の定宮本は聞く耳を持たず、その言葉を無視した。
「じゃあ、お姉さんの彼氏さん。いきますよ」
宮本は星司に一礼をし、攻撃の姿勢に構えた。それでも、全く本気を出すつもりはない。ニヤニヤと笑みを浮かべながら、星司の太ももに向かって、軽く足を出した。