第一話 生還-2
「生還祝いに一杯やるか!」
「そうこなくっちゃ!」
夜半、森口の飲もうという提案に西川が即座に乗る。さらに、隣でボケっとしていた清水の腕を掴んで一緒に酒保まで連れて行こうとする。
「あ、あの……僕はまだ未成年ですから!」
清水は未成年を理由に断ろうとしたが、西川はグイグイ腕を引っ張っていく。酒保の入り口まで来たとき、ついに清水は観念した。
「あんまり飲めませんが……」
森口から渡された湯呑みにはたっぷりの酒が注がれている。
「乾杯!」
森口の温度と共に、清水は息を止めて一口グイッといった。
「あひゃー……」
とたんに、視界がぐるぐると回りはじめ、赤い顔になって酔いつぶれてしまった。
「あーあー、それ見ろ。お前が無理やり飲ませるからだぞ」
森口がタバコに火をつけながら西川を咎める。タバコは『赤道』という銘柄の軍用タバコで、ジャカルタにて製造された物だ。
「いやぁー。こんなに弱いとは思わなかったもんで」
西川はボリボリ頭を掻きながら肘で清水の脇腹をつつき、肩をすくめて一言。
「こりゃ駄目だ」
森口は大きなため息をついた。吐き出した煙が体の周りの空間を僅かに白く染める。西川もいつの間にか自分のタバコに火をつけ、紫煙をくゆらしている。こちらの銘柄は『つはもの』台湾で製造されている物だ。
「まぁ、なんとかこいつを酒が飲めるようになるまでは生かしておいてやりたいですけどね」
西川が清水に目をやり、煙をぶわっと吐き出す。
「あぁ」
森口はタバコを灰皿に押し付けて消し、湯呑みの酒を一気に飲み干した。それを見た西川が新たに森口の湯呑みに酒を注いだ。
「溝渕みたいに死なせたくないですから」
戦死した前任の電信員を脳裏に浮かべて煙を吐き出した。
清水の前任者の溝渕一飛曹は、二か月前のアドミラルティ―諸島への偵察行のときに、追撃してきた米軍機の銃撃を受けて戦死した。彼の代わりに新米の清水が送られてきたのだ。二人は、特に操縦士の森口は自分を責めた。もっと操縦が上手ければ、と。西川ももっと早く敵機を発見できていればと唇を噛んだ。
「真面目でいい奴ですしね」
西川は机に突っ伏している清水の背をバンバンと叩いた。清水はううっと小さく呻く。
「お前と違ってな」
森口は、空になった西川の湯呑みに酒を注いでやる。
「そりゃないですよ」
西川は軽く頭を下げて湯呑みから酒を一口喉に通した。体温が上がり、そろそろ酔いが回ってきたのだ。
「そろそろ寝るか」
紅い顔をしている西川を見て、森口は吸おうとしていた二本目のタバコを箱に戻した。
「ああ……そうしましょう」
西川はそう言うと自分と、清水の湯呑みに残っている酒を一気に飲み干し、空になった湯呑みを片付けた。それから、つぶれている清水の左肩を持って立ち上がらせる。
「おおー。力持ちだな、西川上飛曹」
森口は気持ちのこもっていない賛辞を述べ、軽く拍手する。
「いやいや、少尉もこっち側持ってくださいよ」
西川は拍手なんかいらないと言って清水の右肩を持つように、手招きした。
「お前が清水に飲ませたんだろ? てめぇで責任取れよっ!」
豪快に笑う森口を見て、西川は歯ぎしりして悔しがった。
「嫌な上官ですねっ!」
自分を睨む西川の視線を受けて、森口は不敵な笑みを浮かべた。
「じゃあ、こっち持てばいいのか?」
森口はワザと西川の自由な左腕の関節を曲げた。
「あいててて! ちがっ……清水の事ですよ!」
森口はなおも関節を曲げる。
「すいません! すいません! 俺が悪かったです!」
「そうか、そうか。反省したかぁ」
森口はやっと西川を解放してやる。西川は虐められた左腕を伸ばしたり曲げたりして痛みの余韻を取り払おうとする。
「まぁ、どうしてもと言うなら担いでやるよ」
森口は西川の右側に回り、清水の右肩を持った。
「最初から持ってくれればいいのに」
西川がボソッと言った。
「あ? なんか文句言ったか?」
「い、いえ! 早く清水が起きてくれないかなぁ、と言っただけです」
「そうかよ、ならいいんだ」
森口は清水の肩を持ち直して自分の肩に掛けた。清水が少し呻く。
「まったく。手間のかかる電信員だな」
「そうですねぇ」
二人は文句を言いながらも清水を両脇からしっかりと抱えて、宿舎の自分たちの部屋に入っていった。