たったひとつの冴えた選択の様に-1
目の前で愛娘たちに接する“公人”を前に、有栖川麗子の記憶もまた過去へ遡るのである。
そして…… 自問自答を繰り返すのである。
それは得られなかった“者”への喪失感に他ならない。
十年前、有栖川邸にて
「麗子、これからお話しする事をこころして聞くのですよ。そしてこの事は決して他言してはなりません」
「はい、お母様」
母鳳子が初めて見せる鬼気迫るその面持ちに、麗子は圧倒されながらも何かを感ぜずにはいられなかった。
その表情は麗子の母である前に、鎌倉時代にまで遡る事の出来る名家、有栖川家の実質的支配者の顔に他ならなかった。
「九条様の次期当主である一(いつき)様が、数週間前太平洋上空で消息を絶ちました」
鳳子はまず端的に事実のみを娘に伝える。
「……」
事の重大さを十分認識した上で、麗子は沈黙を持ってその驚きを現す。
そしてその数秒後より母から語られる言葉。
「そして麗子、これはすでに貴女も知っている事です。六年前一(いつき)様のお戯れでその生活を四十日程入れ替えた少年の事は存じておりますね。それが今現在清華院に庶民サンプルとして居る神楽坂君です。そして神楽坂君を庶民サンプルとして招いたのも、九条家のご息女みゆき様のお戯れ……のはずでした」
そこで母は少なからず何かを知っていた上で、改めて現在に“九条公人”の存在を語り始めた。
「実の兄妹である以上みゆき様の想いは叶いません。これは非公式ながら、有栖川家を含む御三家のみに九条家からもたらされた情報ですが、現状況の不安定さから九条家は公人様が十八になるまでにお相手を望まれています。その候補は清華院内在校生でその時までに、婚姻可能な年齢に達する女性全てが対象という事です。しかしその対象は表向きのもので、現実的に現当主様は御三家からを強く希望されているご様子」
そして有栖川家の実質的支配者、有栖川鳳子は娘麗子に言った。
「これがどう言う事か解りますね。麗子」
不謹慎である事は十分承知していたが麗子の心は躍った。
数ヶ月前に現れた“庶民サンプル”である神楽坂公人。
(自分たちが知り得ぬ不思議な風を纏った殿方)
清華院お嬢様たちの公人に対する評価は、当初より総じて好意的な物であった。
時折理解に苦しむ言動はあったが、気配りに長けた素敵な方と麗子の瞳にも映り惹かれて行く。
しかし麗子自身それが許されぬ感情である事が、いつも心の片隅にあったのだ。
鎌倉時代より続く名家有栖川家にあって、庶民と結ばれる様な事が非現実的である事を誰よりも一番理解していたのだ。
先日の縁談騒動をきっかけに、少なからず母鳳子との距離は縮まったかに思えた。
そして鳳子もまた、公人に対し少なからず感情を揺さぶられ始めたのである。
そこに今回の想像すら出来ない追い風とも言える流れ。
麗子の心はときめきを加速する……