第二十話 夜襲-1
今は二十六日だか、二十七日だか、二十八日だか分からない。月は跨いではいないはずだし、なんとなくそのいずれかであるはずだ。ずっと戦闘続きだったからか、月日を数えている暇などなかったのだ。一つ間違いないのが、今は夜であることだった。
「軍曹殿、今は何日ですかね」
隣で故障した小銃を診ている軍曹に、今野伍長は聞いた。
「さぁ? たぶん二十六日だと思うぞ。もう日を跨いだかもしれんが」
軍曹と今野が着けている腕時計は戦闘で壊れてしまっていて、今はもうただの腕輪になっていた。なので、日はわかっても正しい時間まではわからなかった。
今野は空を見上げた。漆黒の空に星が点々と浮かんで光っている。白く輝く星の中に、赤く輝く星があった。
「火星かなぁ?」
今野は天体に関する知識はほとんど持っていなかったが、火星が赤く見えることぐらいは知っていた。もっとも、彼が火星と思っている赤い星は、アンタレスという名の恒星だったのだが。
「さて、そろそろ行くぞ」
軍曹は、直らない小銃捨てて、そばに置いていた対戦車地雷を背負った。今野は棒付爆薬を片手に持った。この棒付爆薬は、竹の先に迫撃砲弾を括り付けただけの急造品だ。愛銃の狙撃銃は壊れてしまって捨てていた。今の彼の武器と言えば、この棒付爆薬と腰の刃こぼれした銃剣だけ。ほとんど丸腰状態だった。
彼ら二人は今、米軍に奪取されたアスリート飛行場へ夜襲をかけるべく向かっている途中である。二十六日の夜、孤立した第三一七大隊の生き残りは、飛行場への決死の夜襲を企図した。確実に、自らに死が訪れると承知の上で。
「なあ、今野。俺らは何のために死ぬんだろうな」
前を歩く軍曹が、ボソッと言った。
「わかりません。俺には守るべき家族もいませんし、両親とはもう何年も会っていませんし」
今野の足がふっと止まる。今野の足音がいきなり消えたので、数歩先の軍曹は足を止めて心配そうに振り返る。
「死ぬのが、怖いか?」
軍曹は真顔になって聞いた。
「はい」
今野も真顔で答える。
当たり前だ。死ぬのが怖くない奴なんて、いるものか。いたとしたら、そいつはきっと頭がおかしいに決まっている。そう、今野は思う。
「自分は死にたくありません」
そう言いながら、今野は右足をグッと前に踏み出した。続いて左足を出す。続いてまた右足を、と歩き出した。軍曹はしばしポカンとした表情をしていたが、すぐに肩をすくめてから歩き出した。
「決心はついたのか?」
前を行く軍曹が振り返らずに問いかけた。
「はい」
今野はしっかりと返事をしてから話を始めた。
「一一八連隊に、無二の戦友がいるんです。俺はそいつの、杉野のためなら死ねる気がするんです」
「そうか。戦友のためか」
軍曹は今まで見せたことのない笑顔で振り向いた。
「ええ。あいつはまだ生きていて、敵と必死に戦っているはずです。それなら、俺が敵機を少しでも潰して援護してやらないと」
ブルドーザーの動く音がかすかに聞こえ始める。飛行場はもう近い。死の瞬間も。
「じゃあ、何としても突入しなければな」
「はい」
「おし、腹も据えたところだし、そろそろほふく前進で進むぞ」
軍曹は地面に寝そべり、左腕だけ身体を支えながらでずるずると前に進み始めた。今野もそれに倣う。飛行場がいよいよ目の前に迫ってきたので、敵に見つからないようにするためだ。服が泥だらけになるが、もうそんなことはどうでもよい。
飛行場と滑走路の境目の地点まで這って進んだところ、目の前には二十名ほどの人影が息を潜めているのに合流した。同じく夜襲をかける友軍の兵士だ。そのうちの一人が、二人を見つけた。
「合言葉を言え」
「七生報国」
軍曹が、定められていた合言葉を言った。夜間やジャングルのような視界の悪い場所では、敵味方の区別がつかない場合が多々ある。そのために、あらかじめ合言葉を定めておくのだ。合言葉が聞こえない場合は敵と判断する様にされていた。
「我々は六分後、〇二〇〇に飛行場へ突撃する。駐機中の敵機や施設をできる限り破壊し、人でも敵兵を道ずれにして果てることとする」
集団の中で、最上位の中尉が訓示をする。中尉は、手りゅう弾をありったけ詰め込んだ雑嚢を持っている。そのほかの兵士も、今野のように急造品の爆弾を持った兵士、米兵から奪った短機関銃を持った兵士まで装備は様々だった。
「敵に見つかるまでは音をなるべくたてないように。見つかったら、叫びながら突撃せよ」
昼間の突撃とは違って、夜間の突撃は音をたてないようにとされていた。これは暗闇の中を突撃してくる恐怖を敵に与え、敵にこちらの兵数を悟らせないようにするためだ。もちろん、居場所が敵に見つかれば昼間と同じく雄叫びを上げて突撃することとなっている。
「よし、では総員……突入開始」
二時ちょうど、最初の集団が飛行場に夜襲を敢行した。