〈我ハ“八代”ナリ〉-9
何人の人間が此処に朽ちていったのだろう?
ある者は野獣のような男達に凌辱され、ある者は貴重な香木を巡って惨殺され、そしてある者は、思想の対立で互いに殺し合った。
耳を撫でて通り過ぎていく風音が、亡者達の雄叫びのように轟轟と騒ぎ立てている。
いつか聞いた夏帆や真希の悲鳴……絶望に引き攣り濁る断末魔の叫びが脳裏を過った……。
『さあて……帰ったら八代の奴と獲物選びをするかな……?』
まさか、その八代が迫ってきているとも知らず、専務は艦橋の扉を開け、操舵室への階段を上る。
そこには、専務の座乗を待っていた部下達の姿があった。
それほど広くは無い操舵室の中心には、機関室に指示を出す速力通信機と操舵主席があり、その右前方には航海情報表示装置や従羅針儀などが並んでいる。
それらを見渡せる場所に据えられた艦長席に、専務はどっかりと腰を下ろすと、ふんぞり返って肩を怒らせた。
『抜錨〜ッ!』
専務の号令の後、巨大な鎖がゴロゴロと唸りながら巻き上げられ、そして錨が海面から現れると、重い衝突音と共に艦首にくっついた。
そして艦尾の海面が攪拌され、白い泡を立たせて貨物船はジワリと前進を始めた。
それは行き着く先の無い、死出の旅路の始まりであった……。
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貨物船が港から離れた数分後、あの黒スーツの二人は忌まわしき建物を訪れた。
春奈と景子が監禁されている、鬼畜の巣窟に……。
『おう!サトウ、久しぶりじゃのう』
二人を出迎えたのは、サロトであった。
まるで旧知の間柄のような、親しみを感じさせる応対をみせるサロトは、八代を“サトウ”と呼んで、監禁棟と反対側に建つ小綺麗な建物へと案内をした。
専務が偽名を使っていたのと同様に、八代もまた偽名を使っていたのだ。
『ビックリしたぞ?いきなり「話がある」なんて連絡を寄越してからに……』
綺麗な調度品が揃えられた其所は、大切な顧客の迎賓室なようだ。
そこは専務ですら招かれた事の無い部屋である。
美しい模様の編まれた分厚い絨毯が敷かれ、その上には樹齢が千年は超えようかという巨木を輪切りにしたテーブルが置かれている。
八代はサロトと相対するように西洋椅子に座ると、少し身を乗り出して話し始めた。