N県警察〜青い飴〜-1
N県下水流(しもずる)市、私立S高校。その日、試行錯誤し、実験結果に一喜一憂する理科室に惨劇が起きた。
1人の女子高校生に硫酸がかかったのだ。
割れる硝子。生徒の金切り声。救急車が来るまでの間、教師は応急措置を施した。
少女は泣いていた。
左半身は重度の火傷を起こしていた。
進藤修平は暇を持て余していた。
高校卒業後の4月に警察学校に入校した。10ヶ月の教養課程を経て、ここ下水流市の青森公園前の交番で職務をこなしている。階級は巡査。21歳。ここに来てからもう1年半にもなる。
下水流市は県庁所在地があるN市から北へ20km程行ったところにあり、人口は4万人と規模はそこまで大きくない。
午後3時。青森公園にはちらほらとランドセルを背負った子供の姿が見え始める。小学校低学年は下校の時間だ。
1人の少年が交番の前に佇んでいた。ずっとうつむいていたから、進藤は声をかけた。
「どうしたんだ?」
少年は右手を差し出した。包装紙に包まれた飴だった。
「そこに…落ちてた」
青森公園を指差していた。
俊巡の後、中腰になり、少年の頭を手荒く撫でた。
「偉いぞ!」
進藤は拾得書類を作成した後、職務机にあったガムを少年に持たせた。少年は笑顔で交番を後にしていった。
「しかしこれで拾得書類と言ってもな」
一部始終を見ていた鈴木は苦笑いを浮かべながら、奥の部屋へ消えていった。
鈴木勝広。巡査部長。54歳。青森公園前交番所属班長。
以前はN県警本部鑑識課や機動捜査隊という刑事畑を歩いていた時期もあったが、家庭の事情だかで今に落ち着いている。
ここ、青森公園前交番に勤務する警察官は進藤と鈴木の他にもう1人いる。
赤坂寿也。26歳で巡査。
午後3時半を過ぎた頃だったか。自転車の鈴の音を鳴らし、赤坂は付近の巡回から戻ってきた。
「赤坂、戻りました。異常ありません」
「ご苦労」
交番の奥の部屋で鈴木に報告を済ませると、職務机に腰を落とした。
━━あと半年だ。
来春で、赤坂は3年間の交番勤務を終える。人事異動での希望は警察の花形・刑事課だ。鈴木にその旨は伝えた。果たしてどうなるか。
横の机に向かっている進藤に目をやった。目があった。
「そういえばさっき、子供が来たんですよ。小学校3年ぐらいかな。何かあったのかと思ったら、飴が落ちていましたって」
進藤は笑いながら机に置かれた飴を手に取り、続けた。
「純粋で良いとは思うけど、届けるべき物と、そうでなくてもいい物の区別ぐらいはついて欲しいな。10歳か。まだ難しいかな」
包装紙を開いて、飴を頬張った。赤坂も鈴木もそれを見ていたが、いつ落ちていたかもわからない物を食べるなよ、と赤坂が溜め息混じりに言うだけに終わった。その筈だった。
数分後、交番は断末魔の叫びに支配された。
進藤が突然喉を抑えもがき、叫び、倒れたのだ。
町を守る筈の交番が事件現場となった。
数分後に救急隊員が到着した頃には既に瞳孔は散大しており、チオ硫酸や亜硝酸アミル等の回復処置を施したが、間に合わなかった。進藤修平は呼吸停止のため死亡が確認された。