第九話 杉野と北沢 土嚢とリヤカー-5
「土嚢、貰うぜー」
完成した土嚢は一か所に積み上げ、砲陣地などの構築の資材に使用される。今も、土嚢を貰いにリヤカーを引いた軍曹が来たところだ。土嚢は笹川と河田が作った分も合わせて十八袋できていた。
「どうぞ、構わず使ってください」
「おう」
杉野が軍曹に一瞥して、許可を出す。この軍曹殿、誰かに似ている人だなぁ……誰だっけ。杉野は脳の片隅で少し記憶をめぐらした。
目立つ口髭を生やした軍曹は、許可を出す前に土嚢をリヤカーに積み始めていた。実のところ、先ほどのやり取りは社交辞令のようなもので、本来はいちいち許可を求めるようなものでも与えるようなものでもないことである。
「おーし。じゃあ、要るようにまた来るぜ」
ひとつ残らず土嚢をリヤカーに積み終えると、軍曹はニカッと杉野に笑顔を向けた。
「はい。それまでにまた作っておきますよ」
杉野も少し手を止めて軍曹に行った。
それから、適当に軍曹が言葉を掛けて自分の作業場に戻ろうとリヤカーを引いた時だった。
バキッ!
「ありゃあ……壊れちまった」
軍曹が右手で頭をボリボリ掻きながらリヤカーを見て気怠そうに言った。
リヤカーは荷台の床板の一部が派手に割れていた。原因はおそらく過積載だった。
「大丈夫ですか? 軍曹殿」
杉野は作業を中断して、軍曹に駆け寄った。時間がかかるとみた木田は、杉野に一言断ってから豪内に降りて塹壕造りを手伝い始めた。
「うん? あぁ、すまんな。縄かなんか持ってないか? こんな穴じゃ土嚢はさすがに落ちたりしないが、他の奴が使うときに困るかもしれんから、応急措置ぐらいはしときたいんだ」
「土嚢用の縄で大丈夫ですか?」
杉野は軍曹に土嚢用の縄の束を手渡した。
「おぉ! 十分だ十分だ。感謝するぜ」
軍曹は礼を言いながら、手慣れた手つきで床の割れた部分に縄を張り巡らし、網を作るように縄を結び合って穴を防いだ。
「ふぅー。こんなんでいいだろ。助かったぜ伍長君」
「まぁ、同じ連隊ですし、お互い様です」
杉野は笑顔で謙遜する。
「そうか。俺は、北沢だ。階級は見ての通り、軍曹。よろしく頼むぜ」
「自分は、杉野と言います。伍長です。こちらこそお願いします」
二人は敬礼しあった。
「ん? 杉野? どっかで聞いたな? どこだっけ」
軍曹は右手で口髭をいじりながら記憶の棚を漁った。やがて思い出したのか手をポンと打った。
「おお! 貴様、上陸初日から憲兵にぶっ飛ばされた伍長殿だろ!?」
なぜか嬉しそうに北沢は聞く。
「うぅ……そうですが、結構な噂になってるんですか?」
軽く唸って質問に同意してから、杉野は恐る恐る質問を返した。
質問を聞いた北沢は盛大に笑い出した。
「わははははは。そりゃそうだ、初日からぶっ飛ばされる馬鹿な奴はいないからなぁ!」
北沢は、バンバンと痛いくらいに杉野の背中を叩いた。
「軍曹殿……恥ずかしいんですが」
杉野は右の目じりを右手の人差指で軽く掻いた。
「何言ってんだよ。憲兵に”びんた”を食らうなんてなかなかねぇぞ。もっと胸張れよ」
杉野は思う。あぁ……北沢軍曹殿は今野と同じ匂いがするぞ。この人の部下はなかなか大変そうだ、と。
「じゃあな、杉野。同じ連隊ならそのうちまた会えるだろ。会ったときは憲兵にぶっ飛ばされた話、面白く聞かせろよ」
北沢はニヤニヤ笑いながら修理したリヤカーをがたがた引いて戻って行った。
杉野が、北沢に似ている人物……夏目漱石を思い出したのは、それからしばらく経ってからである。