そっと優しくリボンをかけるように-1
「最終的には《こちら側の人間》になって頂きます」
はっきりと、九条さんの声が部屋に響く。
「具体的には、名家の令嬢との婚姻です」
……え?
「関連施設への就職という選択もありますが、その場合も前者との組み合わせが前提」
メイド長である九条さんが、俺を清華院から連れ戻そうとする幼馴染恵理との火花を散らすやりとりから発せられた言葉は、時を経てほぼ現実となっていた。
もっともそれは誰かに強いられた訳で無く、俺自身が長い月日をかけて出した結論であった。
あれから十年の年月が流れていた。
俺“庶民サンプル”こと旧姓神楽坂公人は、今日再び清華院女学校の門をくぐる事になる。
もっとも二十五歳になる俺が、現在も清華院に籍を置いている訳では無い。
あの後高等部卒業まで在籍した俺は、十二分に“庶民サンプル”としての役割を全うした……と思っている。
事実“庶民サンプル”成功に気を良くした清華院では、俺の卒業後も二度ほど同様の試みをしている。
……している、しているのだが結果は思わしくなかった様である。
ひとつにはなかなか適合者が見つからない点と、仮に見つかっても本人ないし家族の同意を得られない点。
しかしそうした中ようやく見つかった“庶民サンプル”も、僅か数週間で一生地図に載ってない場所で暮らす事になる。
幸いお嬢様たちに直接的被害は無かったが、事態を重く見た清華院では“庶民サンプル”計画を永久凍結とした。
それでもお嬢様たちの庶民文化に対する欲求は今なお根強く、その要求に応える形で清華院ではひとつの結論に至った。
それが俺に対する清華院への“非常勤講師”としての要請であった。
いや現在の俺に対しては、懇願であったのかもしれない。
考えてみれば清華院側としてもすでにそちら側でありながら、庶民文化を十分有する俺の存在に再び注目したのであろう。
俺は考えあぐねた末に、それを受ける事にした。
移動時間を惜しみヘリで直接校庭に着陸すると、メイド長の霧生さんが出迎えてくれる。
「お待ちしておりました。九条様」
麗子の専属メイドだった霧生さんが、清華院に永久就職した事を再認識しつつ校舎へと向かう。
ところで俺が“九条様”になったのは追々説明するとして、みゆきと結婚した訳では無い。
結論のみ言えば、みゆきとは本当の兄妹であったとだけここでは伝えておきたい。
霧生さんと学長室に向かう途中、高等部の生徒数人とすれ違う。
「ようこそ公人様、お待ちしておりました」
その中のひとりが晴れやかな笑顔で、歓迎の意をいち早く表現してくれる。
「おう、結奈、元気にしてたか?」
俺はそう言いながら、見覚えのあるお嬢様の頭をぽむぽむする。
このお嬢様は俺が清華院に来たばかりの時に、食堂でいつもとは違うお嬢様グループと交流を持った時に居たひとりだ。
その時はまだ幼年部で今と同じようにぽむぽむしたら、唇に力を入れ照れていたのを記憶している。
あの時と同様に周りのお嬢様たちが、結奈をとても羨ましそうに見ているのは気のせいだろう。
学長室に着くと
「来待小百合、女子高生です♡」
糸目の学長が変わらないボケを披露してくれる。
それが学長の俺に対する気遣いである事は、十分察する事は出来た。
「……」
ここだけは何故か、初めて来た時から“時”が止まっているらしい?
それは学長の容姿も同様で、十年たった今も三十路前に見えるのが不思議である。
「早速ですが九条様」
学長と簡単なやりとりの後、霧生さんから本日のスケジュール説明を受ける。
教室までの移動途中の廊下から、白亜の居たラボが視界に入る。
懐かしさと切なさがこみあげると同時に、“エプロンドレスの悪魔”崎守さんの事が鮮烈に甦る。
(そう言えば霧生さん、崎守さんは……)
一瞬、そう口に仕掛けたが止めておいた。
そんな懐かしさとモヤモヤとした感情が入り乱れている中。
「「「!!!」」」
俺の姿が視界に入るなり、三人の幼年部生徒たちがかけ寄ってくる。
瞬時に霧生さんがそれを制する。
「愛さま、憐さま、麗さま、清華院の生徒たるものその様にスカートのプリーツを乱してはいけません」
霧生さんはお嬢様相手でも歯に衣着せぬ物言いで、キッチリ指導する新しいタイプのメイド長である。
まだ六つに満たない幼年部少女たちが、駆け寄って来るには無理からぬ理由もあった。
もちろん当の霧生さんも、その理由は十分承知していた。