第四話 サイパン島到着-1
翌日、杉野らを乗せた駆潜艇は船団に追いつけず、少し遅れて正午ごろにサイパン島に到着した。入港したサイパン港には、すでに他の生き残った船団の輸送船と護衛艦が入港しており、次々と積荷を下ろしているのがわかる。
「ここが、サイパン……」
サイパン島に上陸した杉野は、この南の島の雰囲気に少しばかり衝撃を受けた。
輸送船の中の狭苦しい重い空気とはまるっきり違い、自由なのんびりとした空気が漂っている。まるで戦時中とは思えないほどだ。軍服を着た人間がかなり多いことが、唯一前線に近いことをわずかに感じさせる。
「やっと着いたな。ふぅ……俺は、自分の部隊へ行ってくる。ではな」
宮中は右手を軽く上げて別れを切り出した。
「お世話になりました。上等兵曹殿!」
軽く敬礼しあって宮中と別れた。彼は自分の部隊の配備場所を、あらかじめ知っていたようだ。
「兵隊さん、遠路ご苦労様ですー!!」
宮中と別れて幾何もしないうちに、どこからか数人の籠を持った子どもが掛けてきて、おしぼりを渡された。籠の中は大量のおしぼりが入っていた。
「あ……あぁ、ありがとう」
面食らった杉野に目もくれず、駆潜艇に乗っていた他の兵士や海兵にも配っている。
「君たちは、疎開……安全なとこに逃げないのかい?」
もらったおしぼりで油で黒く汚れた顔や腕を拭きながら、杉野は一人の男の子を呼び止めて話しかけた。六歳くらいだろうか、こんな前線地域に子どもが平気でいることにも軽い衝撃をうけた。
「うん。前に本土へ向かった船が沈んでから、お父さんも、お母さんも、町の大人はみんな島に残った方が安全だって言ってる」
米潜水艦の攻撃ため、往路復路問わず多くの船が沈められており、その不安から疎開は全く進まなかった。それに加えて、米軍は島伝いに侵攻してくると思われていて、マリアナ諸島の端のサイパンはまだ大丈夫だという、根拠のない楽観的な空気が島全体に軍民問わず流れていた。
「それに、兵隊さんも守ってくれるんでしょ?」
「ああ、もちろん」
杉野のキッパリとした返事を聞いた男の子は、無邪気な笑顔を浮かべてさらに言葉を続けた。
「でも兵隊さん、燃料臭いね」
「坊主……殴るぞ?」
「わー! 逃げろー!」
男の子はかわいい悲鳴をあげて他の数人の仲間たちと逃げて行ってしまった。杉野は肩をすくめながら見送った。男の子におしぼりを返しそびれてしまった。彼は、おしぼりを軽くたたんで、薄汚れた軍服の胸ポケットに入れた。智子の写真と少しぶつかっておしぼりはポケットに収まった。