黒き碑と性宴の王-1
山中の森に不法投棄された墓石が散らばっている。墓じまい。墓を管理する後継者がいないために先祖代々の墓を解体して遺骨を再び焼き灰にして海に散骨するなどの儀式である。
墓石などは本来は業者が専門業者に費用を払い砕かれて再利用されたりするのだが、悪質な業者は墓石を処分する費用を浮かすために、墓石を不法投棄したのである。
その墓石の中に見慣れぬ形の墓石が混ざっていた。八角形の黒曜石で刻まれているのは家名などではない。
黒き碑を見つけた男はその石を周囲の墓石で支えるように囲んで立てた。
この男は事業に失敗して払いきれない負債を抱えてしまった。夜逃げをしたが、長いホームレスの生活に疲れていた。
男は公園で寝ていた。熱を出して倒れていたのだが、浮浪者が寝ているだけで誰も声をかけなかった。このまま死ぬのか、これは罪なのだと男は思った。
妻を見捨てて自分だけで逃げ出して二十年。野良犬や野良猫のように死ぬ、自分は野良人間だとつぶやいている手が震えている。アルコール依存症なのだ。罪の意識から逃れたくて酒を飲み続けた。
その男が小雨の降る夕暮れ時に、人里離れた山中に来て黒き碑を汗だくになりながら立てた。
それが終わると男は、墓石が散らばっている草むらに仰向けに倒れこんでしまった。
男は自分が失踪したあと妻がどんな目にあったのかを死ぬ直前の夢の中で視たのだった。
公園で高熱を出して動けない男は、夢のおつげを信じて、窃盗を行いながら旅をして、地方の山中に八角形の碑を見つけた。
この男は妻への贖罪のために命を捧げた。
両目をえぐりだして碑に捧げて、そのまま死んだ。
男が夢で視た妻の人生は悲惨だった。
ヤクザに拉致されて慰みものにされた。覚醒剤を投与され、薬漬けにされた妻は男たちに犯されていた。妻は何度も夫に助けを求めた。それはやがてあきらめに変わり、快楽に身をゆだねていった。
風俗店で働かされているうちに、その店に摘発が入り妻は逮捕された。初犯ということで執行猶予で出てきた妻を待っていたのは、また男たちに慰みものにされる薬漬けの生活だった。
客の要望があれば目隠しされて縛られたまま部屋の床に転がされ、われめにバイブレーターを突っ込まれたまま放置されたりもした。覚醒剤を投与されている体に性的な責めを与えられ、快楽に心が壊されていく。
壊れきった妻は自殺に見せかけられて、海へと崖から突き落とされて死んだ。
どうか妻のことを救ってほしいと両目をえぐり出した男は祈った。
「綾音……すまなかった」
男は何度も繰り返し呟きながら死んだ。
その声を聞き届けたというように、男の行動を見つめていた鴉たちが一斉に騒ぎ始めた。
死んだ者を生きかえらせることは、門にして鍵と呼ばれる神ヨグ=ソトースであれできない。
眠りについた万物の王であり混沌そのものと伝えられる大神アザトースを目覚めさせる可能性がある。世界とはアザトースの夢であり、アザトースが覚醒すると世界は消滅すると伝えられている。
るるるるるる・んぐるい・んんんんん・らぐる・ふたぐん・んがあ あい よぐ ・そとおす!
夢の中で目のない奇妙な男が交わりながら、呪文のようなものを叫ぶのを聞きながら、綾音は絶頂した。そこで綾音はうなされて目をさます。
八角形の碑は古の神である性宴の王ゴル=ゴロスを祀るものであった。
淫らな夢について、綾音は夫の直樹には秘密にして話さなかった。
不法投棄の墓石と、鴉についばまれた男の遺体が見つかったことはニュースになったが、男の遺体の損傷が激しく、また窃盗事件の現場に残されていた指紋と遺体の指紋は一致したが、男の身元は不明であった。
八角形の碑は地元の者たちが薄気味悪いと噂した。警察の捜査などの騒ぎが落ち着くと、八角形の碑は墓石の撤去と一緒にどこかへ運ばれていった。
どこかというのは、粉砕されるときには消え去っていたからである。
直樹は仕事を終えて、会社の近くのパチンコ店に行くと遊戯を始めてしばらくして、隣の遊戯台にいる喪服を着た長い黒髪の若い女性が自分のことをじっと見つめていることに気がついた。
その女性は綾音に顔立ちが似ている気がした。
目が合うとその女性は直樹に話しかけてきた。
「もしかして、あなたの奥さんは、綾音という人ではありませんか?」
直樹は綾音の知り合いなのかと思い、そうですが何かと答えた。
「あなた、早く家に帰ったほうがいいわ。外のものがあなたの奥さんを壊してしまう前に……」
女性は微笑しながらそう言うと、椅子から立ち上がり直樹の前から立ち去っていった。
直樹は気になったが、女性が立ち上がったときに大当りをひいてしまった。ハンドルから手を離すのをためらい、ラウンドを消化してから追いかけると、ちょうど店から出ていくのが見えた。
店の外の駐車場で「待ってください!」と声をかけると、その女性は空を指さした。
直樹が見上げると一羽の鴉が飛んでいるのが見えた。
「あっ」
直樹の目の前から女性は消えていた。
何か嫌な予感がして、直樹はパチンコを早めに切り上げて帰宅した。
部屋の明かりが消えている。
「綾音、いるの?」
直樹は部屋の照明をつけて、浴室のほうで水音かするのに気がついた。シャワーが出しっぱなしになっているようだった。
綾音は全裸で浴室で壁にもたれて座り込んでいた。
直樹はあわてて綾音に声をかけた。
だが、初音は返事をしなかった。その目には、感情や知性も全く存在しない。
綾音の精神と魂はむこう側で完全に食い尽くされ、そこに残っているのは人の形をした脱け殻だけだった。
直樹は綾音の肩を揺さぶり、すっかり動転しながらも綾音を抱きしめた。
「あ……ふふっ」
綾音がわずかに声を出して笑った。直樹は綾音の体を離すと、目を細めて微笑した綾音が上からかぶさるように抱きついてきた。
綾音が直樹のスーツのズボンのファスナーを開く。直樹は脳が蕩けてしまいそうな快感を感じた。