第一話 輸送船団-3
「うまい!」
一口頬張ると自然に味を称賛する言葉が飛び出た。海軍の奴らは毎日こんな飯を食っているのだ。海軍は気取っていて嫌いな杉野も飯の時間だけ、いつも海軍に嫉妬していた。
夕飯を手早く済まし、狭い船倉へ戻るや否や
「伍長殿!早くマレーの話、してくださいよッ」
笹川がせかしてくる。まるで少年のころに戻ったような表情をしている。そういえば自分も、祖父に日露戦争の体験談を語ってくれと何度も懇願した覚えがある……。祖父はよし、よし。といって語ってくれたっけ……。あの時の俺も笹川みたいな表情をしていたのだろう。と、杉野は年に似合わず懐かしんだ。彼はまだ二十八年しか生きていないが、あのときの祖父の気持ちが少しだけわかった気がした。
「よし、よし。昨日はどこまで喋った?」
「たしかシンガポールを攻める直前までですよ」
河田が思い出してそう告げる。
「じゃあもう終盤じゃねぇか。」
そんなに語ったかな。と、心の中で首をかしげる。まぁ、いいか。続けよう。
「シンガポールを攻めにかかったのは、二月八日だ。攻めるにはまず、ジョホール水道という、十五キロ近い幅の川を渡らなければいけなかったんだが、守る連合軍将兵もシンガポールを守るために、必死で大砲や機銃を撃ってきた」
水を一口飲んで杉野は話を続ける。
「俺は上陸部隊の第五波だったんだが、第一波、二波ともに激しい砲撃で大損害を被っていた。もちろん事前に我が砲兵が榴弾をありったけ撃ち込んだが、第三派、四派はかろうじて対岸に取り付いていた、これも現状維持が精いっぱいだった」
「だがやっと、俺たち第五派が対岸に着くと息を吹き返した友軍が、機銃や大砲めがけて突進していった。そしてそれを突破したんだ」
「敵砲兵を粉砕した後はジャングルの中での戦闘だ。九日の午後に、俺の分隊長を務めておられた山本伍長殿が、敵の迫撃砲の直撃を浴びて戦死なされた。山本伍長殿には俺の上等兵と兵長への昇進を推薦していただいた恩義があったから、悔しかったな。絶対に仇を討ってやると決めたんだ」
新兵三人は夢中で話に聞き入っている。そこへ
「僕も話を聞いてよいですか?」
これまた杉野の分隊で新兵の横井一等兵がやってきた。横井は分隊内で一番若い二十歳だ。徴兵ではなく大学を休学して志願したという。
杉野が頷くと、横井も席について聞き耳を立てる。
話の聴き手が四人になったところで杉野は話を続ける。
「山本伍長殿が戦死されたあと、すぐに小隊長の西野少尉殿が走ってきて、おい杉野、お前が今から分隊長だ!山本の仇、討ってやれッ……それと伍長に急遽、昇進だ。と言われて分隊長と伍長にそれぞれなったわけさ」
「そうして分隊長を務めてシンガポールをめざし前進していたんだが、十二日の正午を少し回ったぐらいだったろうか、ジャングルの茂みに隠れていたイギリス兵に右腕をやられたのは」
そう喋って杉野は撃たれた右上腕を軽くさする。
「ちょうど俺が部下に茂みに見え隠れしている狙撃兵を倒すよう指示していたときだった。倒すつもりが、恥ずかしいことに実は自分が狙われていたんだな」
「突然激しい反動に襲われて倒れたら、周りの仲間や部下が、杉野が撃たれたッ。伍長殿が負傷されたぞッ。と、叫んでいて一人が俺の右上腕を抑えている。血を止めようとしてくれていたんだ。俺は冷静に自分の右足のゲートルを解いて右腕に巻き付けた。血ですぐゲートルは真っ赤に染まったよ」
四人の聴き手は息をのんだ。
「痛かったですか?」
木田が当然の質問をする。杉野はその質問にこう答えた。
「いいや。興奮してたんだろうが、痛みは不思議と感じなかった。痛いというより熱かった。こう、表面的な熱さじゃなくて、内からくるような嫌な熱さだったよ」
思い出しながらまた杉野は軽く右腕をさする。後遺症もないし、問題なく戦闘も可能だろう。杉野は話を続ける。
「それから左足のゲートルをほどいて腕を吊ったな。吊り終わったところに担架がやってきて運ばれたってところだ。俺を狙撃した英兵は一緒の小隊だった友人が仕留めた、と聞いたな。まぁ、そいつもそのあと、負傷して本土に帰ったらしいがな」
杉野はその友人を思い出す。一度だけ手紙で復帰した旨を伝えてきたな。どこに配属されたかは書いてなかったが、また会えるなら会いたいものだ。
「担架で後送されてる途中、情けないことに失血で意識を失ったと聞いたよ。野戦病院では、腕が繋がってるのは運が良かったからだといわれてね。イギリスの狙撃銃。リー・エンフィールドという名前なんだが三八式より口径がでかくて威力が高かったんだ」
三八式とは帝国陸軍の制式歩兵銃で、正式名称は三八式歩兵銃という。精度の優れた名銃だが、口径が欧米列強の歩兵銃より小さく、殺傷力が少ないのが主な欠点である。
「それから、野戦病院で入院中にシンガポールが落ちた。と、情報が入ってね。めでたく本土へ送還となったわけだ」