逃亡-7
「瑞紀、お前とドライブできてうれしいよ。」
緋村は上機嫌で言った。瑞紀は聞こえないふりをする。
「そうつれなくするなよ。私は、ファッション雑誌でモデルやってた頃からのお前のファンなんだ。」
緋村が言ったちょうどその時、カーテレビに映ったアナウンサーが瑞紀のプロフィールを紹介し始めた。
「中継をご覧の視聴者のみなさんから、緋村被告人が乗った車を運転している女性警察官についての質問が殺到しております。FNCテレビが独自に調査したところ、この女性警察官は警視庁の早瀬瑞紀警部補です。警部補は高校生時代にはモデルクラブに所属し、彼女が載った号は発売日に完売するという人気モデルだったとの情報が入ってきております。高校卒業後は東京大学に進学し、二回生の時には大手芸能プロダクションやテレビ局各社の協賛で行われた『全国一斉キャンパスアイドルコンテスト』で優勝しましたが、結局、芸能界入りせず、国家?種試験に合格して警視庁に採用されたという、まさに才色兼備の美女であります。」
バラエティ番組が得意なFNCらしく、瑞紀が載っている雑誌やコンテストの時の映像などを交えながらの紹介である。
(事件には何の関係もないのに、そんなことまで放送しなくていいじゃない。)
瑞紀は怒りと恥ずかしさで耳まで真っ赤になっている。
「質問が殺到か。そうだろうな。」
緋村がニヤリと笑いながら言った。
一五分ほど走ったところで、緋村は大通りを外れて脇道に入るよう命じた。そこは文京区の閑静な住宅街である。
「よし、そこで止まれ。」
緋村は小さな駐車場を指さした。
駐車場で車から降り、止まっている白いセダンのところに行くと、緋村がドアを開ける。鍵はかかっていなかった。
運転席に無線機が置いてあった。緋村はそれを手に取り、スイッチを入れた。それを待ちかねたように無線機から声がする。
「緋村同志、今乗っている車は発信機が着いていると思われますので、この車に乗り換えていただきます。まず、10億円をこの車のトランクにあるケースに移し替えてください。」
緋村は瑞紀に命令して、札束を詰め替えさせた。その間に各テレビ局の中継車が次々に到着し、駐車場の周りをテレビカメラが取り囲む。
10億円をほぼ移し終えた時、無線機が次の指示を伝えてきた。
「服にも発信機が着いている可能性がありますので、着替えてください。もちろん、女もです。」
瑞紀はハッとした顔で緋村を見た。不吉な予感がする。緋村が無線機に向かって尋ねた。
「着替えはどこにあるんだ。」
「後部座席に置いてあります。」
緋村は後部座席に置いてある着替えを取り出した。おしゃれな彼が好んで着ているイタリア製のブランド物のスーツだ。そして、後部座席に置いてあるのはそれだけだった。
「早瀬警部補の着替えがないようだが?」
緋村はとぼけた声を作って言った。瑞紀は顔から血の気が引くのを覚えた。
「ありません。」
無線機の答えは予想どおりだった。さらに駄目押しするように言う。
「女は下着のままでいいでしょう。」
瑞紀の周りを十数台のテレビカメラが取り囲んだ。
緋村は中継スタッフに命令して、モニターを持って来させると、瑞紀が中継映像を見られるように、彼女の前に置いた。
清楚なコバルトブルーのスーツ姿がモニターに映し出される。今まさに全国に生放送されている映像だ。
瑞紀は言葉を失っていた。色白の顔の、頬骨のあたりや目元がみるみる紅く染まっていく。
「さあ、脱いでもらおう。」
そう言う緋村は、すでに着替えをすませている。
「ちょっと…、ちょっと、待ってください…」
さすがの瑞紀も泣き出しそうな顔になっている。屋外で、しかもテレビカメラがずらりと並ぶ前で服を脱ぎ、下着姿になるなど、正気でできることとは思えなかった。
周囲の家の窓から付近の住民が、駐車場の様子を覗いているのに気がついた。巻き込まれるのを恐れて、さすがに表に出てくることはなかったが、あちこちの窓に人影が見える。
「任務はきちんと遂行しなきゃあいけないなぁ。ぐずぐずしてると、原発が爆発することになるぞ。」
緋村の言葉に、追い詰められた瑞紀がようやく顔をあげた。
瑞紀は重い吐息をひとつ吐き出すと、キッとした顔で緋村を睨み、静かにコバルトブルーのジャケットを脱いだ。
「おおっ…」
期せずして、カメラマン達が一斉に声をあげた。