投稿小説が全て無料で読める書けるPiPi's World

逃亡
【その他 官能小説】

逃亡の最初へ 逃亡 5 逃亡 7 逃亡の最後へ

逃亡-6



「そろそろだな。」
 野上はコンクリートの殺風景な壁を睨みながら、車の後部座席で一人呟いた。そろそろ、緋村が釈放される時間なのだ。
 しかし、今、野上が睨んでいる壁の向こうは拘置所ではなく、原子力発電所である。
「畜生っ!」
 怒りをぶつけるような声に驚いて、運転席にいた地元警察の刑事が振り返った。
「どうかしたんですか?」
 しかし、野上は答えもせずに、ただ壁を睨んでいた。
 二日前の捜査会議で、野上はPFFTの要求に応じるという上層部の決定に反対し、激しく抗議した。
「テロリストに甘い顔を見せてはいけません。つけあがるだけです! 断じて認めるわけにはいきません!」
「し…、しかし、これは、警視総監が首相とも相談のうえ、すでに決定されたことですから。」
 PFFT対策本部長の細井警視は、凄まじい形相で迫る野上に、ひきつった顔を青くして、そう答えるのがやっとだった。
これだけの大事件にあたるのに信じられないことだが、もともと順送り人事で本部長になっている典型的な「お役人」である。上層部の言うままに事を決めてきたのは明らかだ。野上はこれまでもことごとく細井警視とぶつかってきたが、ここにきて、積もり積もった不満が、一気に爆発した。
「馬鹿野郎! 誰が決めようが、納得できないものは納得できるか。原子力発電所をきちんと張り込んでりゃあ、捕まえられるんだ!」
 勢いで、そう叫んでしまったことが仇になった。野上は、希望していた緋村追跡班ではなく、原子力発電所の張り込みに回されてしまった。しかも、PFFTは爆破予告の対象を特定していないため、ここが彼らの狙いの原発なのかどうかさえ、はっきりしないのである。
 有り体に言えば、野上は「外された」のであった。

   *

 東京小菅にある東京拘置所には、新聞、雑誌、テレビ、ラジオなど多数の報道陣がびっしりと詰めかけていた。
 報道陣の間を縫って、正午きっかりに、構内にシルバーグレイの車が到着した。 車から降りてきたのはコバルトブルーのスーツを来た美しい女性。早瀬瑞紀だった。テレビカメラが一斉に彼女の姿をとらえ、カメラのシャッターが切られた。
 警察官は瑞紀一人だけにしろというPFFTの要求を受けて、敷地に入ってきたのは彼女が乗る車だけだったが、もちろん、拘置所周辺には何台もの覆面パトカーが待機している。また、報道陣の中にも警察官が紛れ込んでいた。
 ほどなく、拘置所の入り口が開くと、緋村が両手を上にあげ、気取ったポーズをとりながら出てきた。
 緋村は周りを取り囲んだ報道陣のマイクを奪い取ると、独自の政治思想をちりばめた身勝手なコメントを二、三述べた後、少し離れた所に立っていた瑞紀に目を向けた。
「やあ、これはこれは、早瀬警部補。お役目ごくろう。」
 緋村は、瑞紀を頭の先からつま先まで値踏みをするようにジロジロ見た。瑞紀は全身を撫で回されているような不快感に耐えながら、黙って立っている。
 やがて満足したような笑みを浮かべると、緋村は瑞紀に近づいてきた。
「10億円は持ってきているだろうな。」
「あの車の中よ。」
 緋村の質問に、努めて素っ気なく答えようとする瑞紀の声は、緊張のため、わずかだが上擦っていた。
「確認させてもらおう。」
 そう言うと、緋村は馴れ馴れしく瑞紀の肩に手をかけ、迷惑そうな顔の瑞紀を連れて車の方へ歩いていく。
 瑞紀がトランクを開け、中に入っていたジェラルミンのケースを開くと、そこには一万円札がびっしり詰まっていた。
「あっ!」
 瑞紀が思わず叫び声をあげた。緋村がいきなり瑞紀の腕を後ろ手に掴み、少し離れたところにびっしりと並んでいる報道陣の方を向いた。
「私はこれから、この美人婦警と一緒にドライブを楽しむことにする。テレビ局各社の諸君には、私がもういいと言うまで同行してもらって、全ての局でノーカットでドライブの様子を生中継し、全国放送してもらう。視聴率はバッチリだから安心して放送したまえ。」
 緋村はそこまで言うと一呼吸置き、今度は少しドスをきかせた声で言葉を続けた。
「報道陣の中に混じっているポリ公ども、それから建物の周りでコソコソ隠れているイヌども、良く聞け! 妙な動きをしたら、取り引きはおじゃんだぞ。その時は、ただちに私の同志が原子力発電所を爆破する。すでに爆弾はしかけてあるぞ。」
 そして、瑞紀の腕を掴んでいた手に力を込めた。瑞紀の顔が痛みに歪む。
「そして、この女も殺す。それは、この女が俺の言うことに逆らった場合も同じだ。原子力発電所を爆破し、女を殺す。」
 緋村の脅迫はテレビカメラを通して全国に中継された。それは、警察の行動に重い足かせをかけた。そして、瑞紀の行動にも。
「さあ、行くぞ。」
 緋村の声に促されて、瑞紀は車に乗り込んだ。瑞紀が運転席に、緋村が助手席に座る。
「ちょっと携帯電話を貸してもらおう。」
 そう言って瑞紀から携帯電話を受け取ると、緋村は見られないようボタンを押し、耳に当てた。
「緋村だ。どういう段取りでやるんだ。ああ、そうか、わかった。」
 そして、携帯電話をそのまま自分のポケットにしまい込むと、運転席の瑞紀に命令する。
「まず、私の言うとおりに運転してもらおう。」
 そう言いながら、緋村はカーテレビのスイッチを入れた。エンジン音とともに、画面の中のシルバーグレイの車が発進した。


逃亡の最初へ 逃亡 5 逃亡 7 逃亡の最後へ

名前変換フォーム

変換前の名前変換後の名前