逃亡-5
瑞紀は緊張した面もちでドアをノックした。キャリア組といっても採用されて日の浅い彼女は、さすがに一人で警視総監の部屋に呼び出された経験はない。
警察官の階級は巡査から始まって九階級ある。一般の警察官は巡査からのスタートだが、瑞紀のように国家公務員?種試験に合格して警察に入ってくる者は、幹部候補生として処遇され、警部補からスタートする。たたき上げの警察官なら、ベテランになってやっと到達する階級だ。そして、その九階級の頂点にいるのが警視庁トップの警視総監である。
「入りたまえ。」
深みのある低音の声で返事があったので、瑞紀は「失礼します」と声をかけ、ドアを開けた。そして、入り口で一礼し、部屋の奥に座る警視総監の前に起立する。
「君が、早瀬瑞紀警部補かね?」
警視総監はいぶかしげな顔で、部屋に入ってきた瑞紀を見た。
警視庁の美人女性警部補と言えば、キリッとした硬質の美女を思い浮かべる人が多い。しかも、東大法学部卒のキャリア組だというのだから、颯爽としたキャリアウーマン風の女性だろうと思うのが当然だ。だから、プロフィールを先に聞いて瑞紀に会う人は、その可愛いルックスと優しい人柄に、ほとんど例外なくイメージを裏切られる。もちろん、心地よい裏切られ方だ。人事ファイルでしか彼女を知らなかった警視総監も同じだった。
「はい、警視総監から直々に特別な任務についてご指示があるとの連絡を、加納警備部長からいただき、さっそく参りました。」
瑞紀はしっかりした口調で答えた。少女のような容貌に似合わずしっかりした警察官だと見てとった警視総監は、満足げにうなづくと、さっそく本題を切り出した。
「知ってのとおり、PFFTの連続爆弾テロは、我が国の治安における安全神話を完全に破壊している。」
元村代議士爆殺事件でリーダー緋村一輝の釈放を求める要求が出されてから、すでに三カ所が爆破されていた。一カ所は都内の交番、一カ所は地下鉄の駅、そして、昨日は霞ヶ関の中央官庁街の一角が被害に遭っている。日に日に国民の不安はつのり、マスコミの批判はPFFTとともに、彼らを検挙できずにいる警察に集中するようになっている。事実、警察のとった対応もミスが重なり、霞が関が爆破された時は、捜査官の不注意で犯人を取り逃がしてしまっていた。
そして、次にPFFTが爆破予告してきたところは、なんと原子力発電所であった。
いろいろな意味で、警察にとってはもう後がない状況になってしまっている。
「そこで、とりあえず、犯人グループの要求を受け入れ、その一方で検挙に全力をあげるという両面作戦を取らざるを得ないという結論に至ったのだ。」
瑞紀は、緊張した面もちのまま、黙って警視総監の話を聞いていた。
「犯人側に要求を受け入れる旨連絡したところ、緋村の釈放と10億円に加えて、どういうつもりか知らんが、婦人警官にお金を持たせること、指示をするまで全TV局に中継させること、という条件を追加してきた。」
ここに来て、自分が呼ばれた理由が見えてきた。そして、次の一言でそれは確定したのである。
「しかも、犯人グループは現金を運ぶ婦人警官として、早瀬君、君を指名してきたのだよ。」