明星ロマン-9
室井は彼女の私物をバッグに戻し、何食わぬ顔でベッドに腰掛けていた。
そこへ久野志織があらわれ、
「待っていてくれたんですね」
彼女はバスローブ姿だった。細長い四肢の先にまで色気が行き渡っている感じがする。
「のぞいてないですよね?」
と、いたずらな目を光らせる彼女に、室井はたじろいだ。
シャワーのことを言っているのか、それとも携帯電話を盗み見たことを疑っているのか、その真意は不明である。
「ほんとうは、男の人が先にシャワーを浴びるのがマナーなんですけど」
「いやあ、申し訳ない」
そういうことは先に言っておいてくれよと頭を垂れながら、室井は彼女と入れ替わりで浴室に向かい、さっさと汗を洗い流した。
交通ルールは熟知しているが、ベッドの上でのマナーはまるでわからなかった。
人生で初めてのラブホテルで、初めてのバスローブを身にまとい、初めての浮気相手の元へ向かう。
どうすりゃあいいんだ──いきり立つ下半身とは裏腹に、彼の肝っ玉は縮こまっていた。
室井が声をかけるより先に彼女は振り向き、熱っぽく微笑む。
わざと視線を合わせようとしないその仕草が、ひとりの寂しい男をベッドへと導くシグナルに変わる。
赤信号なのか青信号なのかはわからない。ただ目の前の女を抱きたいという本能のおもむくままに、ユートピアを目指すのみである。
「ほんとうにいいんだね?」
真っ赤な顔で室井が訊くと、
「えー、どうしようかなー」
大げさに悩む彼女。
「もしかして、気が変わった?」
「いいえ、ちょっといじわるしてみただけです」
ちょこんと舌をのぞかせて彼女は笑った。
それから二人はベッドの中央で見つめ合い、無言の最終確認をする。
シャワーを浴びたはずの彼女の化粧が落ちていないことに室井は気づく。
なんて可愛らしいんだ──そうやって見惚れているところに、久野志織のまるい唇が迫ってきた。
触れるか触れないかのきわどい距離を楽しんだ後、互いの目の奥をのぞき込むようにして唇を重ねた。密着した顔に息がかかっている。
唇を噛み合わせたり、唾液を舐めたり、頬に吸い付いたりした。
「室井さん……」
「久野さん……」
キスの合間に言葉を交わす。
「別の名前で呼んで欲しいな」
と彼女。
「別の?」
「うん、下のほう」
「ええと、志織、さん……」
「まあ、いいか」
しょうがないなあとでも言いたげな彼女の顔は、よく見ると猫に似ている。
きっと、なめらかな体のどこかに鋭利なものを隠しているに違いない。
引っ掻かれないように気をつけながら、室井は彼女の背中をやさしく抱き寄せた。
可愛い子猫が上目遣いで顎を突き出してくる。
「もっと、ちゅーして」
まるで猫なで声である。
ふたたび交わる唇の味に夢中になった。