明星ロマン-8
彼は全身の毛穴が開くのをおぼえ、ふらふらと頭を振った。
これはきっと悪い夢だ。あるいは、久野志織という女性自体、この世には存在しないのかもしれない。
「シャワー、浴びてきますね」
そう言って浴室へ向かう彼女の背中が陽炎(かげろう)のように揺らめいて見える。
狐か狸にでも化かされている気分だった。
なむあみだぶつ、なむあみだぶつ──おどけた調子で両手をすり合わせると、室井はひょこっと室内を見回した。
カラオケ、冷蔵庫、テレビゲームなどの備品が揃っている。
そのほかに、あやしい雰囲気の自動販売機があった。どうやら大人のおもちゃを売っているらしい。
ピンク映画で見たことがあるだけで、実物を見るのは初めてだ。
これを久野志織の中に挿入したら、彼女はどんな反応を示すだろう。
そんな妄想に耽っていると、どこからか一匹の羽虫がひらひらと舞い降りてきて、やがて鱗粉(りんぷん)を撒きながら浴室のほうへ飛んでいった。
「はて?」
同じ虫を以前にも見た覚えがある。
ああ、あの時だ──缶コーヒーを買い損ねた時のことを室井は思い出した。
あの羽虫におそわれた直後に久野志織があらわれたのだ。
謎めいた、というより、まるで謎だらけの女性である。
ストーカーに追われていると言っていた割には、冷静な顔をのぞかせたりもするし、警察に通報しないのもおかしいといえばおかしい。
まさか美人局(つつもたせ)じゃないだろうな──室井はベッドの上に胡座をかいた。
ソファーに目を向けると、そこに彼女のバッグが置いてあった。中身を確かめようかどうか迷ったが、彼は結局ファスナーを開けていた。
甘くて上品な匂いを顔に浴びながら、慎重にバッグの中をさぐり、貴重品や化粧道具などを次々と物色した。
彼の本命は久野志織の携帯電話である。
あった──鼻をふくらませながら室井はそれを取り出し、しげしげと見つめる。
ひょっとしたら自分はとんでもないことをしようとしているのではないか、という思いが胸に広がるのと同時に、彼は困り果てた。手にしているのがスマートフォンだからだ。
まるっきり扱い方がわかならい上に、あちこち触ったせいで指紋がべったりとついてしまっている。ロックの解除すらままならない。
室井は枕元にあるティッシュを抜き取り、携帯電話に付着した自分の痕跡を拭った。
ばれたらまずい、ばれたらまずい──そんなふうに作業に没頭していると、部屋の空気が動く気配があった。
どうやら久野志織がシャワーを済ませたようだ。