明星ロマン-7
「あのう……」
上目遣いで彼女が寄ってくる。室井は腰が抜けそうになった。
「な、何でしょう?」
「とりあえず、何か飲みませんか?」
「そうですね」
と室井は照れ笑いを返す。
居心地がいいとはとても言えない。
室井はアイスコーヒーを、そして彼女はミネラルウォーターを注文した。
かたちだけの乾杯をした後、なぜか互いの名前を明かすことになった。ムードに従ったというべきか。
彼女は久野志織(くのしおり)といった。どういう漢字を書くのかということまでわざわざ説明してくれた。
次いで室井も名乗ったが、彼女の反応は薄かった。
というより、塞ぎ込んでしまったようにも見える。
「久野さん?」
室井は声をかけ、ちょっとちょっと、という具合に彼女の肩を叩いた。そこから柔軟剤の甘い香りが漂ってくる。
「気分でも悪いんですか?」
室井の呼びかけにも反応がない彼女。明らかに顔色が優れない。
「あの人が……」
ようやく彼女は呻くように言い、
「彼が追ってくるような気がして、あたし、これからどうしたらいいのか……」
わからない、というふうに首を振った。目には絶望が宿っている。
室井はとりあえず別の話題を引っ張り出してみた。
「タクシードライバーの仕事っていうのは、それこそいろんなお客さんを乗せるわけですよ」
なるべく明るくしゃべってみた。
「たとえば、ぐでんぐでんに酔っ払った人だとか、水商売の女の子とか、外国人の観光客なんかもいたりしてね。まあ、自分は英語なんてさっぱりなんですが」
大して実のない話をしているなと室井は思ったが、彼女のほうはそうでもないようだ。
「だったら、芸能人とかも乗せたりするんでしょう?」
と興味津々に微笑みかけてくる。
室井は得意満面でうなずいた。そしてここぞとばかりに有名な役者やスポーツ選手の名前を挙げた。
しばし花が咲き、会話がはずむ。久野志織の表情にも血色が戻ったように見える。
やっぱり綺麗なお嬢さんだなあと室井はあらためて思った。
「室井さんは優しいんですね」
「そんな、いやあ、参ったな」
「奥さんが羨ましいな」
「いやいや、なんとなく連れ添っているだけですよ」
リップサービスで迫ってくる彼女から距離を置く室井。このままではほんとうに間違いを起こしかねない。
そこへ、
「ねえ」
と久野志織が距離を詰めてくる。
「これからどうします?」
作為を含んだ彼女の眼差しが、室井の青春を呼び覚まそうとしている。しかし彼は言った。
「家に帰らないと、かみさんを怒らせたら適いません」
そうしないと家庭内が炎上してしまうのだ。
「あたしと、したくないんですか?」
彼女から核心を小突かれ、何のことかなあ、と室井はとぼける。
そしてまじまじと見つめ合った後、久野志織の唇が、セックス、というふうに動いた。