明星ロマン-3
ところでお客さん、と言いかけて室井は言葉を飲み込んだ。現時点では彼女はまだ客ではない。
けれどもほかの呼び方が思いつかないので、ふたたびたずねてみる。
「お客さん、警察にはもう通報したんですか?」
「ああ、ええ、まあ……」
困惑した様子で彼女が言う。きっと気が動転しているのかもしれない。
「110番したほうがいいですよ。それとも、これから交番に向かいましょうか?」
「だめっ」
「へえ?」
「いいえ、あのう、警察の人には相談したんですけど、なかなか対応してくれなくて」
「はあ、そうなんですか……」
すかした返事をしながらも、そうなのかもしれないなと室井は口を結んだ。
新聞やテレビなどでも報道されているように、ストーカーによる被害が一向に減らないのは、警察の対応が後手にまわっていることが要因の一つだと言えなくもないのだ。
もちろん、いちばん悪いのはストーカーなのだが。
「こわくてアパートにも帰れないんです」
と彼女。
「すると、一人暮らしですか?」
「はい。だから今夜はどこかのホテルにでも泊まろうかと思って」
「ご実家は遠いんですか?」
「両親はずいぶん前に亡くなりました。なので、帰るところがないんです」
「それはそれは……」
気の毒なことだな、と室井は同情した。
「ねえ運転手さん、すぐに宿泊できそうなところってないですか?」
「まあ、なくはないんですがね」
「シャワーが浴びられればどこだっていいんですけど」
彼女のその台詞を聞いて、室井は変な想像をふくらませた。
それは浴室でシャワーの蛇口を捻る彼女の裸体である。
濡れた髪に指を通し、肩を撫で、桃色をたくわえた乳房には手を触れず、降り注ぐシャワーに身をまかせながらゆっくりと体を回転させる美女──そんな贅沢な場面を室井は念じていた。
その彼女とこうして同じ空間にいることが夢のように感じられ、思わず欲情してしまう。
室井は密かにタクシーの表示を『貸切』に切り替えた。男としての機能もすでに先走っている始末である。
そんなふうにスラックスの前がだんだん窮屈になってきた頃、
「真面目なんですね」
彼女がつぶやいた。
室井は首をかしげ、
「はい?」
と返答する。
「さっき運転手さんが財布を落とした時に、見ちゃったんですよね、免許証を」
「いやいや、そうだったんですか」
室井はあからさまに照れた。
「あれってゴールド免許ですよね?」
「ええ、無事故無違反だけが取り柄でしてね、ええ、ほかに自慢できることがなくて困ってるんですよ、ええ、まったく」
上機嫌になった室井は、ええ、を連発した。ついでに鼻の下がでれでれと伸びている。