明星ロマン-18
それは、優良運転者講習の当日のことだった。
室井は会場に向かい、ビデオを観て、講師の話にも真面目に耳を傾けていた。
そしていよいよ新しい運転免許証を受け取るという時、自分の名前を呼ばれた後の呼び出しの声に反応したのである。
「クノシオリさん」
そこでひとりの女性が立ち上がり、室井に次いで列に並ぶ。
彼は何故かその女性の名前に執着した。
会場を出たところで室井は彼女に声をかけた。
女性は振り返り、不審な面持ちで室井を見つめる。
「クノシオリさんですよね?」
「そうですけど」
さらに警戒の色が濃くなる。けれども彼は言った。
「どういう字を書くんですか?」
迷惑がられているのは承知の上だった。
「何なんですか……」
女性は今にも大声を上げそうな雰囲気である。しばし考え込む室井。
「じつは、孫が生まれましてね」
おじいちゃんの顔で室井は言い、
「名前がシオリっていうんですよ」
としみじみと台詞を噛みしめた。
そしてポケットから携帯電話を取り出すと、そこに孫の写真を呼び出した。息子夫婦のあいだに生まれた小さな命である。
「本に挿(はさ)む栞と書いて、シオリです」
説明しながら写真を見せると、わあ、可愛い、という声が女性の口から上がった。
「いきなり名前を訊かれて、変な人だと思ったでしょう。どうもすみませんでした」
室井は丁寧に頭を下げた。いいえ、と女性は手を振った後、自分の名前を語った。
久野志織、そういう字を書くのだ、と。
「いい人でよかった」
その一言で、室井の意識はラブホテルに帰ってきた。となりにバスローブ姿の久野志織がいる。
たったあれだけのやり取りのうちに、彼女の心が動いたのだろうか。
室井はまだ夢を見ているような心地だった。
そういえば──室井には確かめたいことがあった。
その気配を察知したのか、彼女が先に口を開いた。
「ストーカーに追われてるっていうのは、そう、あたしの作り話」
「どうして……」
「だって、室井さんと会う口実が欲しかったから」
そういうことだったのか、と彼は胸を撫で下ろした。
「強いて言えば、あたしが室井さんのストーカー、かな?」
「おいおい、やめてくれよ」
てへ、と彼女は舌を出して笑った。この笑顔に救われているのだと室井は思った。