Tデパート-6
「麻理……」
全く予想もしていなかったその名前に、俺は一瞬何の話をしているのかわからなくなって記憶が混乱した。
「ま、麻理が……何……なんですって?……」
高橋の顔には、悪魔のような笑みが浮かんでいた。
そして、俺をいたぶるように、そしてその反応を楽しむように、ゆっくりと言葉を繋いだ。
「せやから、ワシの便所やったんや。あんたの、幼馴染の、麻理がな」
「……な……何を……おっしゃってるんですか……」
唇がワナワナと震えるのが自分でもわかった。
「あんたが麻理をうちの店でレイプして帰った後、すぐにその場でヤったんや。昔神社でレイプされたことと、またここであんたにレイプされたことを婚約者にバラす言うたら案外あっさり大人しゅうなってな」
「……嘘……ですよね……」
「ハッ……嘘なもんかいな!あんたもわかるやろ?あの状況で、このワシがヤらへんと思うか?」
「そんな……」
言われてみれば、あんな状況で高橋が女と二人きりになって、何もしないわけはないのだ。
あの頃はまだ高橋に出会ったばかりで、まさか当時支配人だった高橋がそんな行為に及ぶとは、俺は夢にも思っていなかった。
「いやホンマにあん時は興奮したで!前から麻理のことはええ女や思とったさかいな。けど気ぃは強いし、手ぇ出しにくい思て諦めとったんや。それがあんな形でまんまとヤれるとはホンマにラッキーやったわ」
「麻理は……結婚……したんじゃ」
あの後俺は、麻理が俺の子を妊娠したと聞かされ、慰謝料として有り金の全てを高橋に渡した。
そして麻理はその金を受け取り、結婚したものだとばかり思っていた。
「まあ、いずれそうさせるつもりやったんやけどなぁ。ワシと何回かヤるうちにあの女タガが外れたみたいになりよってな。本社のお偉いさんやらワシの取引先の重役連中やらとさんざんヤりまくった挙句に、結婚はせえへんと自分から言い出しよったんや」
まるで楽しいエピソードでも披露するかのように、高笑いを交えながらおぞましい事実をとうとうと語る高橋。その様子からは、麻理に対しても俺に対しても罪悪感などかけらも感じられなかった。
会社の連中や取引先の男たちと関係を持ったというのは、本当に麻理自身の意志なのだろうか。
高橋は昔から複数で一人の女をオモチャにするようなセックスが好きなのだ。
麻理の弱みにつけこんで、社内外の接待や酒席に連れ回し、その度ごとにみんなで寄ってたかって麻理を凌辱したのではないのか。
俺は余りのことに言葉を失い、呆然と高橋の顔を見た。
「なんやその顔は?」
高橋が小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「あんた、女が憎いんやろ?──女はみんな『ただのメス』。あんた自分でそう言うてたなぁ?それとも、麻理だけは特別やとでもいうんか?」
「……いや……しかし……」
「おいおい!あんまりワシを失望させんといてくれよ。ワシはあんたを見込んで信じとんねんで」
「……信じる?……俺を……」
「そうやがな!女に対して愛だの恋だのとしょうもない感情を持ちよるそのへんの男どもと、あんたは違うんやろ?そうやんな?!」
「……」
何が正しくて、何が間違っているのか。そして自分が何に対して腹が立っているのか。俺はだんだんわからなくなっていた。
「あんた、麻理とは幼馴染らしいな。ガキの頃に惚れとったんかどうか知らんけど、あの女こそ根っからの好きモンやで」
高橋の言葉がガンガンと頭の中で響く。
頭を深々と下げながら、封筒に入れた金を高橋に差し出す自分の姿が、何度もフラッシュバックして、俺はギュッと目を閉じて額を押さえた。
「しゃあないやつやな。ほんなら自分で確かめたらええ」
高橋は背後にある室内電話の受話器を取ると、女将とおぼしき相手とぼそぼそ二言三言、言葉を交わし、再び受話器を置いた。
ほどなくして廊下の外に人の気配がして、ふすまの向こうから中年がらみの女の声がした。
「高橋はん。えらいお待たせしてしもうて、すんまへん」
間違いなく、玄関で俺たちを出迎えた女将の声だった。
「別のお座敷を中座さしてきましたよってに、えらいはしたない格好で堪忍しておくれやす」
すうっとふすまが開き、三つ指をついて頭をさげる女の姿が見えた。
「かまへん。入り」
高橋に呼ばれて女将の背後でゆっくりと顔をあげたのは、まぎれもなく麻理であった。