はじめての夜-1
それからしばらくして、充分に景色を楽しんだ二人は彼の自室へと戻ってきた。ほどよい眠気が心地よく、腕の中で寝息をたてはじめた幼い天使の寝顔がまた安らぎをあたえてくれる。
「眠りが浅い子なのかと思ったけれど、心配なさそうだ」
ふふっと笑うキュリオの顔はとても穏やかで紛れもなく今、彼の愛情はこの幼子に向けられていた。
キュリオは赤ん坊と向かい合うように横になると、そっと小さな体を抱きしめた。すると・・・彼女がすがるように顔を寄せ、キュリオの胸元で丸くなる。そのひとつひとつの仕草がキュリオの心の琴線に触れ、この子が他人の子であることを忘れてしまいそうになるのだった。
「・・・このままお前の親が見つからなければいいのに・・・」
王としてよからぬことを考えてしまう自分を情けなく思いながらも、彼にはこの感情を止める術がわからなかった――――
―――・・・夜も更け、虫たちの奏でる音色だけが聞こえる時分・・・―――
うっすらと目を開いたのは・・・やはり幼子のほうだ。
彼女のぼやけた視界にうつるのは、ずっと優しくだきしめて笑いかけていてくれていたきれいな男のひとだった。とじた瞳を縁取る長い睫毛(まつげ)が影を落とし、整った顔立ちとうつくしい銀髪が並みならぬ品の良さを漂わせている。
じっと彼の顔を見つめてみるが、起きる気配はなさそうだ。
(・・・・)
そして気がつけば、やんわりとまわされた彼の腕を背中に感じ、大きな安心感が彼女の心を満たしていく。
(あたたかい・・・)
ツーと頬に流れる一筋のなみだ。
だが、幼い彼女はこの涙の意味がわからない。
しかし・・・
思い出せない何かが激しく心を揺らし・・・
悲しみに押しつぶされてしまいそうな小さな体を包んでくれる、この優しい腕がいまはただ嬉しかった――――
―――徐々に東の空が白みはじめると朝を唄う鳥たちの声が悠久の風に流れ、優しい日の光が大地を照らす―――
そしてこの大地でひときわ美しく光輝く、悠久の城の主であるキュリオは日の出とともに目を覚ました。
(朝か・・・)
ゆっくり瞼をひらいた先に飛び込んできたのはいつも見慣れた天蓋のベッドの天井と・・・こちらを覗き込んでいる小さな人影だった。
「おはよう、もう起きたのかい?」
(逆光でもわかる・・・この柔らかな気配は・・・)
キュリオの声を聞いた小さな影は嬉しそうに口角をあげると更に顔を近づけてきた。
「・・・っンぅー!」
言葉にならない声をあげ、キュリオの顔に顔をよせてくる。
寝起きのキュリオは幸せな夢の続きを見ているような感覚におそわれながらも、肌に感じる確かなぬくもりにほっと安堵の溜息をついた。そして、彼女の愛くるしい顔を見ようとその顔に手を添えると・・・(・・・涙のあと?)
「泣いていたのかい?」
キュリオは眉間に皺を寄せ、彼女がひとり泣いていたであろう時に気が付いてやれなかったことを悔やんだ。だが、そんな心配をよそに彼女はにこやかな笑顔を向けてくる。
「・・・ああ、お前はまだ眠っていていいんだよ?
と言っても、目が覚めてしまったかな」
小さな体を抱き上げてベッドから身を起こす。すると昨夜に温めておいたミルクのボトルが放置されているのが目にはいった。
(おなかを壊してしまうといけないな。作り直してこよう)
キュリオは一度、枕を背にして彼女の体を寄りかからせる。
きょとんとして大人しくしているその姿はとても可愛らしく、まるでお人形のようだ。
「おなごは育てやすいと噂に聞いたことはあるが・・・これほどまでなのだろうか・・・」
少しの疑問を胸に抱きながら、高貴な装飾がほどこされたクローゼットに手をかけ、今日一日の予定を思い描く。
そしてズラリと並んだ数ある衣装の中から首元に銀の刺繍が美しい、丈の長いものをひとつ取り出した。
横目で幼子の姿を確認し、手慣れたように着替えをすませていく。それから最後に薄手のストールを手にすると・・・幼い彼女の服をもってくる女官たちがまだ来ていないことを思い出す。
「レディが寝間着のままではいけないね」
そう言いながらキュリオはそっとベッドの脇へと腰をおろした。