僕をソノ気にさせる-9
「その前に」
一層居住まいを質して強く言った祖母に、杏奈と智樹の背筋が伸びる。
「優也が学校に行っていない理由はご存知?」
「はい、センパ……、久我山先輩から聞いています」
「須藤さんには、イジメを受けた子の気持ちがお分かりになるかしら? ご自分でどう思われます?」
「分かると思います」
これまでよりも難しい、しかし核心となる問いに困るだろうと思っていたのに、即座に答えが返ってきて祖母は驚いた。
「私、中学高校は女子校でした。たしかに進学校で……、名門って言われてる学校だったんですけど」
話し始めた杏奈の表情からは緊張が抜け、祖母の目をまっすぐ見つめていた。「――進学校だから余計に、勉強ばっかりしてるストレスがあるんだと思います。そこらじゅうでイジメがありました。私も……、中学三年生の時に、皆からイジメられました。高等部に進んでクラス替えがあるまでずっと。女の子ばっかりだからか、なのかはわかんないですけど、陰険なんですよね、すごく。無視されたり変な噂流されたり。……知らない間に、ロッカーに置いてた生理用品を捨てられてたこともあります」
杏奈は途中言葉遣いを乱しながらも真顔で語り、
「……だけど、私は誰もイジメたことはありません」
と最後にキッパリと言った。迷いのない真剣な杏奈の声に祖母は思わず頷いて、
「お辛いことをお聞きしますけど……、イジメを受けた理由は須藤さんにはお分かりになって?」
「それは――」
杏奈は語っていた時の顔つきから、照れた子供っぽい表情に変わり、「私が、人よりカワイイからです。きっと。そんなのしょうがないのに」
ヤバい、と智樹が身を竦めたのに反して、「まぁ」と祖母は口元に手を当てて笑った。
「……じゃ、優を呼ぶよ? おーいっ、優! ちょっと来いよー。話があるんだー!」
ほっと息をついた智樹は立ち上がって書斎の方へ大声で呼びかけた。
「呼んでくりゃいいじゃないか、まったく……、お客様の前で」
体育会系丸出しの智樹の様子に、祖母が呆れた顔をしていると、廊下を軽い足音が近づいてきて優也が顔を出した。片手に分厚い本を抱えている。
「おー、優。まーちょっとここに座れって」
智樹が自分が座っていた座布団を杏奈との間に置いて叩く。
「うん……」
隣に座っている若い女性を訝しげに一瞥してから、優也は二人の間に膝を立てて足を抱えて座った。
「優也」
正面からの祖母の呼びかけにも目を合わせず、優也はテーブルの上の湯呑に目線を落としている。「お婆ちゃん、お前に家庭教師さんをつけようと思ってるんだよ。算数、苦手だろ?」
「いらないよ」
家に居るようになって以来、どうしても優しい声になってしまう祖母の申し出を優也は即座に断って、持っていた本をその場で開き始めた。
「おい、優っ!」
強い言葉で叱ろうとした智樹を、杏奈は手のひらを見せて止めた。
「……優也くん」
本に目線を落としたままの優也に杏奈が話しかける。「わたし、杏奈っていうの。すどう、あんな。よろしくね、優也くん」
「うん」
返事はするが、目線は本に向けたままだった。
「何読んでるの? なんか、超字いっぱいなんだけどぉ……」
顔を近づけて本を覗きこむ。智樹は、超、という言葉遣いと、伸びてしまった語尾にチラリと祖母を伺ったが、祖母は杏奈が話しかける様子を黙って観察していた。
「……別に」
「え〜、いいじゃん、教えてよ。面白いの?」
「……さぁ?」
「わっかんないよぉ、言ってみないと。あーそれ面白いよねっ! って言うかもしれないでしょ?」
読書を邪魔されるのを嫌った優也は、杏奈の方を見ずに、
「『遠い声 遠い部屋』」
とだけ呟いた。
「え? 何、それ?」
「……ほら、やっぱ知らないじゃん」
溜息をつき、失望や軽蔑まで滲ませて、吐き捨てるように言う。だが杏奈は全く気にも止めない様子で、
「うーん……。すまん、知らないや。何て人が書いたの?」
優也は話すのも面倒になって、本を傾けて表紙を見せた。
「『カポーティ全集』。……はて?」
「……」
「有名な人? 全集ってことは、他にも小説書いたのかな? 私でも知ってそうなの教えてよぉ」
「……」
「いいじゃん、いいじゃん。ね〜、教えて? ね?」
杏奈は体を揺らし、両手を擦り合わせて頻りに優也に頼みこんできた。優也は何か言わないとずっとまとわりつき続けると思って、これを知らなきゃ部屋に戻ろう、と、もう一言呟いた。
「……『ティファニーで朝食を』」
「ヘプバーン!」
突如杏奈が大声を上げたので、驚いた優也は思わず顔を上げて杏奈を向いてしまった。
「なーんだぁ、早く言ってよ。見た、私。映画見た!」